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M-DCT

Multidimensional - Design Construction Theory
​多次元構築設計論

​第0章|完璧な建築を目指して

「完璧な建築とは何か」

0-1|「完璧な建築」は誰も求めていない

0-2|「最優秀」は「完璧」ではない​​

0-3|「最適解」の延長にある「完璧な建築」​

0-4|情報社会における完璧性の必然性

0-5|「主観」と「客観」の共創による完璧性へ​

0-6|成長する完璧性

0-7|「完璧な建築は存在しない」で終わらせない「挑戦」

0-8|GADOは何に「挑戦」するのか

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第1章|建築デザインのブラックボックス

「私たちは、どのように建築を判断しているのか」

1-1|人間側のブラックボックス

1-2|AI側のブラックボックス

1-3|二つのブラックボックスの関係

1-4|人間とAIの共存は必然なのか

1-5|可視化によって何が変わるのか

1-6|人間とAIの相乗効果

1-7|人間とAIが共に建築を考える時代

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第2章|情報社会における建築デザインの課題

「情報が増えたことで、何が難しくなったのか」

2-1|情報の民主化と建築デザインの変質

2-2|創造の同時多発性とオリジナリティの不確定化

2-3|アルゴリズムと建築デザインの収斂

2-4|場所と時間の横断による建築デザインの均質化

2-5|断片的な共有による建築デザインの抽象化・安易化

2-6|建築評価の不透明性——審査員・評価者の課題

2-7|評価される建築デザイン——大学教授・建築学生の課題

2-8|イメージによる意思決定——クライアント・発注者の課題

2-9|情報過剰・文脈喪失・評価構造の不在

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第3章|情報社会における建築デザインの価値転換

「これから何を価値として設計するのか」

3-1|情報の価値は「所有」から「構造化」へ変わる

3-2|建築の価値は「単独の作品」から「相対的な位置」へ変わる

3-3|創造性は「新しい形」から「新しい関係」へ拡張する

3-4|建築は「視覚的作品」から「多層的な情報体」へ変わる

3-5|「良い建築」は単一の価値から複数の価値へ変わる

3-6|AIによって価値は「生成する能力」から「判断する能力」へ移る

3-7|設計は「完成させること」から「循環させること」へ変わる

3-8|情報の「量」よりも「関係」が重要になる

3-9|主観と客観は対立から循環へ変わる

3-10|「建築を設計する」から「思考を設計する」へ

3-11|建築を「単一の視点」から「多次元的な構造」へ変える

3-12|多次元構築設計論——次世代の建築デザインへ

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第4章|建築家の職能の変化と次世代の建築家像

「これから建築家は何をする存在になるのか」

4-1|建築家は何をしてきたのか

4-2|建築家と設計者の違い、それぞれの職能の変化

4-3|スターアーキテクトの終焉──分散する建築家の影響力

4-4|情報社会によって変わる建築家や設計者の役割

4-5|次世代のスターアーキテクト

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第5章|多次元構築設計論

「建築を多次元的に捉えるとは何か」

5-1|多次元構築設計論とは何か

5-2|建築は一つの軸では説明できない

5-3|対象を分解する

5-4|文脈を捉える

5-5|要素を捉える

5-6|属性を捉える

5-7|関係性を捉える

5-8|時間とプロセスを捉える

5-9|異なる次元を横断する

5-10|建築を「形」ではなく「構造」として捉える

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第6章|多次元構築設計論からGAASへ

「理論をどのように分析・評価可能な構造へ変えるのか」

6-1|思想だけでは建築は変わらない

6-2|多次元的視点を構造化する

6-3|建築を「対象」と「時間」に分解する

6-4|分析と評価を分離する

6-5|主観を排除するのではなく構造化する

6-6|多次元構築設計論を計算可能にする

6-7|GAAS——多次元構築設計論の実装

第0章  |   完璧な建築を目指して
「完璧な建築とは何か」

建築に「完璧」は存在するのだろうか。

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建築には唯一の正解がなく、美しさも、使いやすさも、経済性も、社会性も、時代や場所、立場によって変化する。すべての価値を同時に満たすことなどできない。だから建築に完璧を求めること自体が、無意味だと考えられてきた。

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完璧な建築が存在しないとしても、私たちは建築をより良くしようとし続けている。設計者は案を比較し、構造を合理化し、環境性能を高め、コストを調整し、より美しく、より使いやすく、より社会に適した建築を目指す。建築賞では最も優れた作品を選び、設計競技では無数の案から一案を選び、実務では与えられた条件の中から最適解を探している。

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問題は、完璧な建築が存在するかどうかではない。私たちが、建築の価値をどこまで理解できているのかである。

何を見ればよいのか。何を比較すればよいのか。誰にとっての価値なのか。何が不足しているのか。どこまで改善できるのか。そして、それらの判断はどのような情報と価値観によって生まれているのか。これまで建築は、多くの主観的な判断によってつくられ、評価されてきた。しかし現在、建築を取り巻く膨大な情報が蓄積され、比較され、分析できる時代が始まっている。人間一人では捉えきれなかった建築の価値や関係を、これまでとは異なる解像度で考えることが可能になりつつある。だから今、「完璧な建築」という一見不可能な問いを、もう一度正面から考える意味がある。

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本章では、完璧とは何かを定義することから始めるのではない。なぜ私たちは完璧を求めてこなかったのか。「最優秀」と「完璧」は何が違うのか。「最適解」を突き詰めた先に何があるのか。そして、情報社会とAIの時代において、なぜ今あらためて完璧性を考える必要があるのか。

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「完璧な建築は存在しない」と結論づける前に、まず、私たちは建築についてどこまで知っているのかを問い直す。

そこから、本書は始まる。

0-1|「完璧な建築」は誰も求めていない

 

完璧な建築は、誰も求めていない。

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​私はこれまで建築をデザインし、設計してきた中で、「完璧な建築をつくってほしい」という要求を聞いたことがほとんどない。施主は予算と工期の中で要求を満たす建築を求め、事業者は事業として成立する建築を求め、利用者は快適で使いやすい場所を求める。設計者もまた、すべてを最大化することより、膨大な条件の中から何を優先し、何を諦め、最終的にどのような建築としてまとめるのかを考えている。

安全であればよい。使いやすければよい。事業として成立すればよい。あるいは、単純にそこにいることが楽しく、心地よければよい。それらはどれも建築にとって本質的な要求である。しかし、それは必ずしも「完璧であること」を意味しない。

私はこれまで多くの審査や講評、評論を行う中で、「完璧な建築」という言葉を使ってきた。しかし、その言葉を出した瞬間に、議論そのものを真っ向から否定されることも少なくなかった。「そんなものは存在しない」「建築に完璧などない」「そもそも建築を完璧にすることなどできない」。

その反応は理解できる。建築には、美しさ、使いやすさ、安全性、経済性、環境性能、耐久性、施工性、社会性、文化性など、極めて多くの価値が存在する。さらに、施主、利用者、設計者、施工者、事業者、行政、近隣住民など、異なる立場を持つ多くの人々が関係している。

ある人にとって優れた建築が、別の人にとっても優れているとは限らない。現在高く評価されている建築が、百年後にも同じように評価される保証もない。地域や文化、社会、時代が変われば評価も変わる。そう考えれば、「完璧な建築など存在しない」という考え方は自然であり、常識的ですらある。

しかし私は、そこで議論を終わらせることに違和感を持った。

一つの価値だけを最大化すれば、別の価値との矛盾が生まれることがある。経済性を高めれば快適性が損なわれるかもしれない。開放性を高めればプライバシーが低下するかもしれない。しかし、それぞれの価値を切り離して考えるのではなく、それらの関係を理解し、一つの建築の中で可能な限り統合していくことはできないだろうか。

すべての価値を同時に最大化することはできなくても、何が対立し、何が両立し、どのような条件で相互に補完できるのかを理解することはできる。

私は、その先に「完璧性」があると考えている。

完璧性とは、ある建築が突然100点になることではない。あらゆる価値を最大化することでもない。建築を考えるうえで何を見るべきなのかを可能な限り把握し、それぞれの価値と関係を理解し、何が不足しているのかを問い続けることである。

誰も求めていないものを、なぜ目指すのか。存在しないと言われるものを、なぜ研究するのか。

私は、そこにこそ面白さを感じている。

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0-2|「最優秀」は「完璧」ではない​​

 

建築分野では、建築賞、設計競技、卒業設計展、作品選集などを通して、「どの建築が最も優れているか」が繰り返し議論されてきた。唯一の正解が存在しない建築においても、私たちは「一位」や「最優秀」を決めようとする。

「美しい」「面白い」「優れている」という判断には曖昧さがある。しかし、「一位」「最優秀」と言われれば分かりやすい。順位は、複雑な価値を一つの情報へ圧縮する。また、順位には意思決定の役割もある。設計競技に百案が提出されたとしても、通常実現されるのは一案である。どこかで議論を終え、一つを選ばなければならない。

その意味で「最優秀」とは、絶対的な完全性を証明するものではなく、複数の可能性の中から一つを選択するための仕組みでもある。

ここで重要なのは、「最優秀」は「完璧」ではないということである。

ある設計競技でA案が一位になったとしても、それによってA案から欠点がなくなるわけではない。改善できる部分は残っているかもしれないし、評価基準が変わればB案の方が高く評価される可能性もある。それでもA案は、その時点、その条件、その候補群、その評価者の中では「最優秀」として成立する。

つまり、最優秀とは「この中では最も良い」という相対評価である。一方、完璧性とは、**「この建築には、まだ何が足りないのか」「どこまで良くなり得るのか」**を問い続けることである。

最優秀は他者との比較であり、完璧性はその建築自身が持つ可能性との比較である。

これまで私たちは、AとBとCを比較し、「どれが最も良いか」を判断するための制度を数多くつくってきた。しかし、一つの建築を取り出し、「この建築には何が不足しているのか」「さらにどこまで改善できるのか」を体系的に考える方法については、同じほど発展させてこなかった。

建築賞やコンペが複数の建築を比較する横方向の評価だとすれば、本書が扱う完璧性は、一つの建築の可能性を掘り下げていく縦方向の評価である。

最優秀に選ばれた建築であっても、まだ改善できる部分がある。まだ理解されていない価値がある。まだ発見されていない可能性がある。

その「まだ」を追究するところから、完璧性の議論は始まる。​​​​

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0-3|「最適解」の延長にある「完璧な建築」​

 

現代社会では、「完璧」という言葉よりも「最適」という言葉が好まれている。最適な配置、最適な構造、最適な環境計画、最適なコスト、最適な事業計画、最適なデザイン。

実際の建築には、予算、工期、法規、敷地など数多くの制約があり、すべてを最大化することはできない。だからこそ、与えられた条件の中から最も適した状態を導き出す「最適化」は、現代の建築にとって極めて重要な考え方である。

しかし、ここには重大な前提がある。

何を、どこまで最適化しているのか。

「この条件では最適である」「今回の検討範囲では最適である」という表現は成立する。しかし、それは同時に、その外側に評価していない領域が存在することも意味している。構造について最適であっても、環境について最適とは限らない。コストについて最適であっても、快適性について最適とは限らない。

最適解を理解するためには、何を評価対象とし、何を対象としていないのか、その境界を理解しなければならない。

さらに重要なのは、その最適解がどのような過程によって導かれたのかである。入力された条件、評価基準、判断の過程が分からないまま、出力された「最適解」だけを受け取ることは危険である。AIによる判断が高度になればなるほど、この問題は大きくなる。

何を見るのか。誰にとって評価するのか。どの時間軸で考えるのか。どのような価値を扱うのか。それぞれは何と関係しているのか。何を対象とし、何を対象外としたのか。

本来考慮すべきものを見落としたままでは、どれほど高度な計算を行っても、その答えは限定された世界の中での最適解にすぎない。

だから私は、より完全な最適解を求めるほど、その前提となる評価の世界も限りなく完全でなければならないと考えている。

ここでいう「完璧」とは、すべての項目を100点にすることではない。あらゆる価値を同時に最大化することでもない。建築を判断するために本来考慮すべき対象、価値、条件、主体、時間、関係を可能な限り取りこぼさず把握し、それらの関係を理解することである。

評価する世界が狭ければ、どれほど正確に最適化しても、得られるのは狭い世界の最適解である。反対に、評価する世界を広げ、その構造をより深く理解できれば、導かれる最適解も建築全体の可能性へ近づいていく。

不完全な基準から、完全な最適解は生まれない。

私は、この延長線上に「完璧な建築」があると考えている。

つまり、「最適」と「完璧」は対立するものではない。最適解をより深く、より広く追究していった先に、完璧性という問いが現れる。​​​

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0-4|情報社会における完璧性の必然性

 

建築の完璧性そのものは、昔から考えることができたはずである。しかし、これまでそれを体系的に研究することは極めて難しかった。一人の人間が見ることのできる建築、読むことのできる文献、記憶できる情報、比較できる評価項目には限界があったからである。

現在、その条件は大きく変わり始めている。建築を取り巻く膨大な情報がデジタルデータとして蓄積され、私たちは以前とは比較にならないほど多くの建築情報へアクセスできるようになった。画像解析によって建築の形態や材料を分析し、自然言語処理によって膨大な設計説明や批評、講評を比較・分析することも可能になりつつある。さらにAIによって、人間一人では扱えない量の情報から、共通点や差異、関係性を読み取ることも可能になってきた。

つまり、**「建築を可能な限り完全に理解する」**という、これまで理念として語ることしかできなかった問題を、実際の情報を用いて研究できる条件が初めて整い始めている。

完璧性に本格的に挑戦できる時代が、ようやく訪れたのである。

しかし、現代では完璧性を追究することが「できるようになった」だけではない。情報社会だからこそ、それを追究することが「必要になった」とも考えている。

かつて問題だったのは情報不足だった。しかし現在は、情報が多すぎることが新しい問題になっている。法規、構造、設備、環境、エネルギー、材料、コスト、防災、景観、都市、地域、利用者、事業、運営。建築を取り巻く情報は増え続け、それぞれの領域も高度に専門化している。

だから、これから重要になるのは、情報の量そのものではない。

情報の構造である。

膨大な情報の中に何が存在し、それぞれがどのように関係し、どの評価や判断へ接続するのか。情報が増えれば増えるほど、それらを整理し、関係づけ、利用可能な知識へ変換する体系が必要になる。

AI時代に不足するのは、建築の案そのものではないのかもしれない。百案、千案、一万案を生成できたとしても、それらを評価する構造がなければ、何を選ぶべきかは分からない。

むしろ重要になるのは、膨大な情報と選択肢を前にして、**何を見るべきか、何を比較すべきか、何をもって良いと判断するのかを体系的に示す「評価の構造」**である。

情報社会は、建築の完璧性を追究するための情報と技術を与えた。同時に、その情報が増えたことで、それらを構造化し、理解し、評価へ結びつける必要性も生み出したのである。

しかし、ここで一つ重要な問題が残る。

情報をどれほど集め、どれほど精密に構造化しても、それだけでは「何が良い建築なのか」を決めることはできない。なぜなら、建築の評価には、人間が何を美しいと感じ、何を心地よいと感じ、何に価値を見出すのかという「主観」が含まれているからである。

情報社会によって客観的な分析の可能性が大きく広がったからこそ、次に問うべきなのは、その客観的な情報と人間の主観を、どのように結びつけるのかという問題である。​​​​

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0-5|「主観」と「客観」の共創による完璧性へ​

 

建築の評価では、建築家や審査者が持つ感性、思想、経験といった「主観」が大きな役割を担ってきた。「美しい」「独創的である」「力強い」「繊細である」「場所性がある」「建築的である」。こうした判断は、建築の価値を発見するうえで重要であり、客観的な情報だけで置き換えられるものではない。

一方で、その主観がどのように生まれているのかについては、十分に説明されていないことも多い。

なぜ美しいのか。何が独創的なのか。どの要素が力強さを生み、どの関係が場所性を成立させているのか。経験豊富な建築家が「こちらの方が良い」「ここは弱い」と瞬間的に判断できても、その判断の内部にある形態、寸法、材料、光、環境、文化、経験などの関係を、すべて言葉として説明することは容易ではない。

だからこそ、主観を排除するのではなく、主観そのものを分析の対象にする必要がある。

人間が「良い」と感じた判断を出発点として、その判断が何によって生まれているのかを客観的に分析する。複数の人間の評価を比較し、どこに共通性があり、どこから違いが生まれるのかを調べる。そうすることで、これまで個人の内部に蓄積されていた感性や経験を、少しずつ共有可能な知識へ変えていくことができる。

必要なのは、「主観」と「客観」の共創である。

ここで重要なのは、主観を客観へ一方向に変換することではない。

主観によって建築の価値を発見する。その価値を客観的に分析する。分析によって、これまで意識されていなかった関係や特徴が明らかになる。その知識が再び人間へ戻ることで、新しい見方や判断が生まれる。そして、その新しい判断が次の設計へ反映される。新しく設計された建築は、再び分析され、評価される。そこからさらに新しい価値や問題が発見され、評価の方法そのものも更新される。

主観 → 設計 → 分析 → 評価 → 知識 → 新しい主観 → 再設計

という循環が生まれる。

この循環の中では、主観と客観は対立しない。主観が分析すべき価値を発見し、客観がその構造を明らかにし、その結果が再び主観を拡張する。

同じように、設計と評価も対立しない。設計されたものを評価するだけではなく、評価によって得られた知識が次の設計を変える。 そして、新しい設計が生まれることで、これまでの評価基準では捉えられなかった新しい価値が現れ、評価体系そのものも更新される。

設計が評価を生み、評価が次の設計を生む。主観が客観を生み、客観が次の主観を生む。この相互作用が繰り返されることによって、建築そのものと、それを理解するための評価体系の双方が成長していく。

私は、この循環こそが「完璧性」を考えるうえで重要だと考えている。主観と客観、設計と評価を何度も往復しながら、建築についての理解そのものを深め続けることである。

そして、この循環という考え方が、次の「成長する完璧性」へつながる。​​

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0-6|成長する完璧性

 

「完璧性」は、固定された完成状態ではない。完璧性は、主観と客観、設計と評価の循環によって更新され続ける。

新しい建築を設計する。それを分析し、評価する。そこから新しい価値や不足を発見する。その発見を知識として蓄積し、評価体系を更新する。そして、更新された知識を次の設計へ反映する。

主観 → 設計 → 分析 → 評価 → 知識 → 新しい主観 → 再設計

という循環である。

この循環が続くことで、建築そのものだけではなく、「建築をどのように理解し、どのように評価するのか」という基準そのものも成長していく。

社会も変化する。新しい技術が生まれる。新しい材料が生まれる。新しい建築がつくられる。人間の生活や価値観も変わる。今日十分だと思われる評価基準が、十年後には不足している可能性がある。だから、完璧な評価体系が一度完成し、そのまま永久に使えるとは考えていない。

不足が見つかれば追加する。分類に問題があれば修正する。新しい価値が現れれば拡張する。過去の評価では十分に捉えられなかったものが見つかれば、その評価方法自体を見直す。

つまり、重要なのは「完全な答え」を固定することではない。自らの不完全性を発見し、それを次の設計と評価へ反映できる仕組みを持つことである。

完璧とは完成ではない。

完璧性とは、成長し続ける方向である。​​

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0-7|「完璧な建築は存在しない」で終わらせない「挑戦」

 

「完璧な建築など存在しない」。そう考えるのは簡単である。

しかし、本当に存在しないと言い切れるのだろうか。

そもそも私たちは、建築の価値をすべて理解しているわけではない。何をもって完璧とするのかも、まだ十分に説明できていない。もし完璧に近い建築が目の前にあったとしても、それを完璧に近いものとして認識できない可能性すらある。だから本書は、「完璧な建築は存在する」と証明しようとするものではない。同時に、「存在しない」と結論づけるものでもない。

むしろ問いたいのは、完璧とは何なのかを、私たちはどこまで理解できるのかという「挑戦」である。

完全な安全が存在しないからといって、安全性を研究する意味がなくなるわけではない。完全な医療が存在しないからといって、医学が進歩をやめるわけでもない。同じように、完璧な建築へ完全に到達できるかどうか分からなくても、より良い状態を理解し、そこへ近づこうとすることには意味がある。

重要なのは、「完璧になれるか」ではない。

**昨日より何を理解できるようになったのか。何が不足していると分かったのか。そして、その発見を次の設計へどう生かすのか。**その積み重ねによって、建築は少しずつ完璧性へ近づいていく。

「完璧は存在しない」と結論づけるのではなく、「完璧とは何か」を問い続ける。

それが、本書の立場である。

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0-8|GADOは何に「挑戦」するのか

 

建築には何が存在するのか。何を分析しなければならないのか。どのような価値が存在するのか。誰にとっての価値なのか。それらはどのような関係を持っているのか。そして、人間が「良い」「美しい」「強い」「心地よい」と感じる判断の内部には、何が存在しているのか。

数値化できるものは数値化する。画像から読み取れるものは分析する。文章から読み取れるものは構造化する。人間にしか判断できないものは無理に数値へ置き換えるのではなく、その判断がどのような条件によって生まれたのかを記述する。

説明できないという事実そのものを分析対象にする。

そして、その分析結果を再び設計へ戻す。

設計された建築を分析し、評価する。評価によって不足や可能性を発見する。その情報を知識として蓄積する。蓄積された知識によって評価体系を更新し、その知識を次の設計へ戻す。

GADOが目指すのは、この循環を構築することである。

設計 → 分析 → 評価 → 発見 → 知識化 → 更新 → 再設計。

その循環の中で、人間の主観と客観的な情報を接続する。人間とAIを接続する。個別の建築と、蓄積された建築知識を接続する。

そうすることで、評価体系そのものも固定された基準ではなく、設計と評価によって成長し続ける知識基盤となる。

これまでの建築は、新しい建築をつくることに大きな力を注いできた。これからもそれは重要である。しかし、次の時代にはもう一つの方向が必要になる。

新しい建築をつくるだけではなく、建築を新しく理解する。

良い建築を選ぶだけではなく、なぜ良いのかを理解する。最優秀を決めるだけではなく、その建築にはまだ何が不足しているのかを考える。主観か客観かを選ぶのではなく、その両者を循環させる。設計と評価を分離するのではなく、互いの結果によって双方を更新し続ける。

本書が考える完璧性は、その循環の先にある。

われわれは完璧を知っているわけではない。だから研究する。完璧を説明できるわけではない。だから説明しようとする。そして、そこで得られた知識を次の設計へ戻し、再び分析し、評価する。

完璧な建築とは、一度の設計によって完成する答えではない。主観と客観、設計と評価の相互作用によって、建築とその理解の双方を、より完全な状態へ近づけ続けるプロセスなのである。

それが、『完璧な建築を目指して』という本書の出発点であり、われわれGADOが挑戦しようとしていることである。

第1章|建築デザインのブラックボックス
「私たちは、どのように建築を判断しているのか」

現代の建築デザインには、人間側とAI側という二つのブラックボックスが存在しているのである。
 
建築家は、なぜその形を選んだのだろうか。設計者は、なぜその空間を「良い」と判断したのだろうか。
建築デザインでは、設計者の経験、知識、感覚、思想などをもとに、多くの判断が行われている。敷地、用途、構造、環境、利用者、コスト、地域性など、判断に関わる要因を説明することはできる。しかし、それらをどのように比較し、何を重視し、なぜ最終的にその案を選んだのかという判断過程のすべてが、明確に共有されているとは限らない。
人間による建築デザインには、結果は見えるが、そこに至る判断過程は十分に見えない「人間側のブラックボックス」が存在している。

一方、AIは膨大な情報を処理し、建築の分析、比較、評価、生成を行うことができる。しかし、AIがどの情報をどのように処理し、何を重視し、なぜその結果を導いたのかという判断過程を、人間がすべて理解できるとは限らない。
AIによる建築デザインにも、結果は見えるが、そこに至る判断過程は十分に見えない、「AI側のブラックボックス」が存在している。

現代の建築デザインには、人間側とAI側という二つのブラックボックスが存在しているのである。

1-1|人間側のブラックボックス

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1-1-1|建築家はどのように判断しているのか

建築家や設計者は、設計条件を一つずつ機械的に処理して建築をつくっているわけではない。これまで見てきた建築、実務経験、専門的な知識、他者との対話、成功や失敗、そして自らの感覚や価値観。それらを総合しながら、一つひとつの設計判断を行っている。

経験を積んだ設計者であれば、図面を見た瞬間に違和感に気づいたり、複数の案を比較して「こちらの方が良い」と判断したりすることができる。こうした判断は、長い時間をかけて蓄積された経験や知識によって形成される、建築家や設計者にとって重要な能力である。

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1-1-2|なぜ判断過程は見えないのか

しかし、その判断過程を他者が完全に追うことは難しい。「こちらの方が美しい」「この方が建築的である」「この空間の方が良い」という判断には、それぞれの設計者なりの理由がある。

一方で、何を見て、何と比較し、どの条件を重視し、どのような経験や価値観をもとに判断したのかが十分に言語化されなければ、その根拠は外部から見えにくい。設計の結果は図面や模型、完成した建築として残るが、その結果に至るまでの判断の多くは、設計者自身のなかに留まったままになる。

これは設計だけではなく、建築の評価でも同じである。建築家、評論家、審査員、クライアント、利用者など、それぞれが異なる経験、知識、立場、目的、価値観をもとに建築を判断している。同じ建築であっても、何を重視するかによって評価は異なる。

本書では、このように、設計や評価の結果は見えていても、そこに至る判断過程や根拠が十分に見えない状態を「人間側のブラックボックス」と捉える。

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1-1-3|何が問題なのか

問題は、主観が存在することではない。建築には、数値だけでは捉えることのできない感覚的、経験的、文化的な価値が存在する。設計者が長い経験のなかで培ってきた直感や感性もまた、建築をつくるうえで重要である。

問題は、その判断が何を根拠とし、どのような背景や価値観から生まれたのかが十分に共有されていないことにある。

判断の理由が分からなければ、他者はその判断を十分に理解することができない。また、設計者自身も、自らの判断を振り返り、次の設計へ生かすことが難しくなる。評価についても、なぜ良いと判断したのか、どこに課題があると判断したのかが共有されなければ、その評価は個人のなかで完結してしまう。

つまり、人間側のブラックボックスの問題とは、主観そのものではなく、主観から生まれた判断が共有・検証・蓄積されにくいことである。

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1-1-4|ブラックボックスを可視化する目的

では、人間側のブラックボックスを可視化する目的は、主観や感性をなくし、すべてを客観的な判断へ置き換えることなのだろうか。

そうではない。

また、判断過程を明らかにすれば、それだけで完璧な建築が生まれるわけでもない。

重要なのは、主観をなくすことではなく、主観を理解できる状態にすることである。

何を対象として見たのか。何を根拠として判断したのか。何と比較したのか。どのような背景からその価値が生まれたのか。そして、その価値が誰によってどのように評価されたのか。それらを可能な限り明らかにすることで、個人の内部に留まっていた経験や判断を、他者と共有し、比較し、検証することができる。

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設計者は、自らが何を重視して設計しているのかを認識できる。建築家同士は、それぞれの判断の違いを比較できる。クライアントは、設計者が何を根拠として提案しているのかを理解できる。評価者も、自らがどの価値を重視して建築を評価しているのかを明らかにできる。

そして、その判断を記録し、設計と評価を繰り返すことで、個人の経験として蓄積されてきた知識を、次の設計へ生かすことができる。

つまり、人間側のブラックボックスを可視化する目的は、人間の判断を機械的なものへ変えることではない。

人間が自らの判断を理解し、その経験や感性を共有・検証・蓄積することで、設計や評価を行う人間そのものの能力を発展させることにある。

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1-2|AI側のブラックボックス

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1-2-1|AIはどのように判断しているのか

AIやデータベース、検索システムの発達によって、建築デザインで扱える情報量は急速に増えている。膨大な建築事例を検索し、複数の作品を比較し、文章や画像から特徴を抽出し、条件に応じて新しい文章や画像を生成する。これまで人間だけでは扱いきれなかった量の情報を、短時間で整理・分析できるようになったことは、建築デザインに大きな可能性をもたらしている。

人間が自身の経験や知識をもとに判断するのに対して、AIは与えられた情報や学習してきたデータ、設定された条件などをもとに処理を行い、結果を出力する。たとえば、多数の建築事例から共通する特徴を抽出したり、ある設計案と類似する事例を探索したり、文章や画像に含まれる情報を整理したりすることができる。

こうした能力によって、人間だけでは認識することが難しかった広い範囲の情報を扱い、設計や評価を支援することが可能になりつつある。

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1-2-2|なぜ判断過程は見えないのか

しかし、AIがある分析や提案を出したとき、その結果に至るまでの過程を人間がすべて理解できるとは限らない。どの情報を参照し、何と何を比較し、どの特徴を強く捉え、なぜ最終的にその結果になったのか。その処理過程は、利用者から見れば十分に明らかではない場合がある。

たとえば、AIが二つの建築を「類似している」と判断したとしても、形態が似ているのか、材料が似ているのか、空間構成が似ているのか、それとも文章として記述された特徴が近いのかによって、その意味は大きく異なる。また、AIがある建築を高く評価したとしても、どの情報を対象とし、どの範囲と比較し、どの条件を重視したのかが分からなければ、その結果だけから判断の妥当性を確認することは難しい。

つまり、AIは大量の情報を処理することができても、その処理過程や判断根拠がそのまま人間に理解可能な形で示されるとは限らない。本書では、このように、AIによる分析や生成の結果は見えていても、そこに至る処理過程や根拠が十分に見えない状態を「AI側のブラックボックス」と捉える。

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1-2-3|何が問題なのか

問題は、AIが複雑な処理を行うことそのものではない。大量の情報を高速に処理し、人間では気づきにくい特徴や関係を発見できることは、AIの大きな能力である。

問題は、その結果が何を根拠として生まれたのかを十分に理解しないまま、設計や評価の判断として受け入れてしまうことにある。

AIが提示した結果が、どの情報に基づいているのか。比較対象は十分なのか。特定の情報に偏っていないか。何を分析できていて、何を分析できていないのか。それらが分からなければ、結果の意味や限界を正確に判断することができない。

建築は、形態や画像だけで成立するものではない。空間、構造、環境、機能、施工、経済、地域、文化、時間など、多くの条件が関係している。AIがそのうちの一部分だけを分析しているにもかかわらず、その結果を建築全体の評価として扱えば、本来見るべき価値を見落とす可能性がある。

つまり、AI側のブラックボックスの問題とは、AIが判断することではなく、AIが何を見て、何を見ていないのか、どのような根拠から結果を導いたのかが分からないまま、その結果だけが利用されることである。

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1-2-4|ブラックボックスを可視化する目的

では、AI側のブラックボックスを可視化する目的は、AIの内部処理をすべて人間が理解できるようにすることなのだろうか。

そうではない。

また、AIの判断過程を明らかにすれば、それだけで正しい建築や完璧な建築を導くことができるわけでもない。AIが扱う情報そのものに限界があり、建築に求められる価値も、場所、用途、主体、時代によって異なるからである。

重要なのは、AIを完全に理解することではなく、AIがどのような条件のもとで、何を対象として結果を導いているのかを理解できる状態にすることである。

どのような情報を入力したのか。何を対象として分析したのか。どの範囲と比較したのか。どのような項目を評価したのか。どのような結果が出力されたのか。そして、その結果を人間がどのように解釈し、設計や評価へ利用したのか。それらを可能な限り明らかにすることで、AIの出力をそのまま受け入れるのではなく、人間が検証し、比較し、適切に利用することができる。

設計者は、AIがどの情報をもとに提案しているのかを確認できる。評価者は、どの観点から分析された結果なのかを理解できる。クライアントも、AIによる分析がどの範囲を対象としたものなのかを把握できる。そして、分析結果と実際の設計や評価を比較することで、AIの精度や限界を検証し、次の分析へ反映することができる。

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つまり、AI側のブラックボックスを可視化する目的は、AIを否定することでも、AIに建築の答えを委ねることでもない。

AIが何を根拠として分析・生成しているのかを理解し、その能力と限界を人間が把握したうえで活用することで、建築を分析・設計・評価する能力を拡張していくことにある。

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1-3|二つのブラックボックスの関係

人間側とAI側のブラックボックスは、それぞれ独立して存在しているわけではない。現代の建築デザインでは、人間がAIを使って情報を収集し、比較し、分析し、生成された結果を再び人間が判断するようになっている。つまり、人間の判断とAIの処理は、一つの設計プロセスのなかで連続し始めている。

人間は、経験、知識、感覚、価値観などをもとに、「何をつくるべきか」「何を大切にするべきか」を考える。一方、AIは大量の情報を処理し、人間だけでは把握することが難しい事例を探索したり、複数の条件を比較したり、特徴や関係を抽出したりすることができる。

両者には、それぞれ異なる強みと限界がある。人間は、建築を身体的、社会的、文化的に経験し、そこに意味や価値を見出すことができる。しかし、一人の人間が認識できる情報量には限界がある。AIは、人間を超える量の情報を高速に処理できる一方で、その結果が建築として何を意味するのか、誰にとってどのような価値を持つのかを、最終的に決定する主体ではない。

つまり、人間とAIは同じ能力を競い合う存在ではない。

人間は価値を考え、AIは認識を拡張する。AIは可能性を広げ、人間はその意味を判断する。

重要なのは、どちらか一方に判断を委ねることではなく、それぞれの能力と限界を理解しながら、一つの設計プロセスのなかで関係づけることである。

しかし、両者の判断過程がブラックボックスのままであれば、その関係もまた不透明になる。人間が何を求め、AIが何を分析し、どの結果を人間が採用したのかが分からなければ、人間とAIを組み合わせても、判断の根拠がさらに見えにくくなる可能性がある。

だからこそ、二つのブラックボックスを可視化することには意味がある。

それは、それぞれを完全に透明にするためではない。

人間とAIのあいだに、理解可能な関係をつくるためである。

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1-4|人間とAIの共存は必然なのか

では、人間とAIが建築デザインを共に行うことは、避けることのできない未来なのだろうか。

AIを使わなければ建築を設計できないわけではない。人間だけでも建築を考え、つくることはできる。その意味では、人間とAIの共存を絶対的な必然と呼ぶことはできない。

しかし、建築を取り巻く状況は大きく変化している。

建築に求められる条件は増え続けている。環境、構造、エネルギー、経済、地域、福祉、防災、維持管理、社会的価値など、設計者が考慮すべき対象は広がっている。同時に、世界中の建築情報、技術、研究、法制度、事例がデータとして蓄積され、人間が一人で把握できる範囲を大きく超え始めている。

情報が少ない時代には、限られた知識を深く経験することが建築家の重要な能力であった。情報が膨大になった現在では、それに加えて、大量の情報のなかから必要なものを見つけ、比較し、関係づける能力が求められる。

そこでAIの能力が必要になってくる。

AIが建築家を置き換えるからではない。

建築そのものが、人間だけでは認識しきれないほど多くの情報と関係を持つようになっているからである。

その意味で、人間とAIの共存は単なる技術的な流行ではない。情報量と建築の複雑性が増大する社会において生じる、構造的な変化の一つと考えることができる。

かつて、手描きからCADへ、CADからBIMへと設計環境が変化してきたように、AIもまた建築家の思考や設計を支える新たな道具として組み込まれていく可能性が高い。

しかし、重要なのはAIを使うことそのものではない。

AIの登場によって、建築家が何を考えるべきかが、より明確に問われるようになったことである。

計算できること、検索できること、比較できること、生成できることがAIによって拡張されるほど、人間には「何を問うのか」「何を価値とするのか」「どの結果を選ぶのか」という役割がより強く求められる。

したがって、人間とAIの共存とは、人間の役割が失われていく過程ではない。

むしろ、人間にしか担えない判断とは何かが、改めて明確になっていく過程なのである。

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1-5|可視化によって何が変わるのか

人間側とAI側のブラックボックスを可視化すると、両者の関係は変わる。

これまで、人間が「良い」と判断した結果と、AIが導いた分析結果は、それぞれ独立した答えとして扱われることがあった。しかし、判断の背景や根拠を可視化することができれば、重要なのは結果そのものではなく、なぜ両者の判断が一致したのか、あるいは、なぜ異なったのかという関係になる。

人間が高く評価した建築を、AIも同じ観点から評価する場合がある。一方で、人間が美しいと感じた建築に対して、AIが環境性能や施工性など別の観点から課題を示す場合もある。逆に、人間が見落としていた価値を、AIによる比較や分析によって発見できることもある。

ここに、可視化することの重要な意味がある。

人間とAIの判断が一致することだけが目的なのではない。

両者の違いを理解できることに価値がある。

人間が何を重視し、AIが何を捉えたのか。その違いを比較することで、人間は自らの判断の特徴や偏りに気づくことができる。AIについても、どのような情報や評価項目が不足しているのかを確認することができる。

つまり、可視化によって、人間はAIを検証でき、AIによって人間もまた自らの判断を振り返ることができる。

これは一方向の関係ではない。

人間がAIを評価し、AIが人間の認識を拡張する。

相互に検証する関係が生まれるのである。

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1-6|人間とAIの相乗効果

人間とAIの共存によって生まれる最も重要な可能性は、それぞれが単独で行う設計を超えることにある。

人間だけで設計する場合、経験、知識、感覚をもとに深い判断を行うことができる一方、その人が知らない情報や経験していない領域には気づきにくい。AIだけで分析する場合、大量の情報を処理することはできるが、その結果を建築としてどのような意味や価値へ変換するかには限界がある。

そこで、人間とAIを循環させる。

人間が問いを立てる。AIが広い範囲から情報を探索し、比較し、分析する。その結果を人間が解釈し、新たな価値や設計の方向を考える。そして、その設計を再びAIによって分析し、人間が評価する。

人間の判断 → AIによる分析 → 人間による再判断 → 設計 → 評価 → 再び判断

という循環が生まれる。

ここでは、AIが答えを出して設計が終わるのではない。AIによる結果が、人間に新しい問いを返す。

人間がAIへ問いを与え、AIが人間へ新しい視点を返す。

この往復によって、建築デザインは一度の判断で完成するものではなく、設計と分析、主観と客観、人間とAIを繰り返しながら発展していくものになる。

人間の主観は、AIによる分析によって相対化される。AIの分析は、人間による意味づけによって建築的な価値へ変換される。

どちらか一方だけでは成立しない。

人間の深さと、AIの広さを組み合わせる。

そこに、人間とAIの相乗効果がある。

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1-7|人間とAIが共に建築を考える時代

AIの発達によって、建築家の役割がなくなるわけではない。

むしろ、建築家の役割は変化する。

膨大な情報をすべて記憶することや、すべての比較を自ら行うことよりも、何を問うのか、何を価値として捉えるのか、異なる条件をどのように関係づけるのか、そして最終的にどの判断に責任を持つのかが重要になる。

AIもまた、単なる自動生成の道具から、建築家の認識を拡張する存在へ変わっていく。

人間がAIに代替されるのでもなく、AIが人間に従属するだけでもない。

それぞれが異なる能力を持ち、その判断過程を可能な限り共有しながら、一つの建築を考えていく。

これは、AIが登場したから突然始まった考え方ではない。

建築はもともと、一人の建築家だけによって成立するものではなかった。構造、設備、施工、環境、事業、行政、利用者など、異なる知識や価値観を持つ主体が関わり、それらを統合することでつくられてきた。

AIは、その関係のなかに加わる新しい知性の一つと考えることができる。

だから、人間とAIの共存は、建築の本質を変えるというよりも、建築がもともと持っていた「異なる知を統合する」という性質を、さらに拡張するものと捉えることができる。

重要なのは、人間かAIかを選ぶことではない。

人間とAIの能力をどのように組み合わせれば、これまで認識できなかった建築の価値や課題を発見できるのか。

そして、その発見をどのように次の設計へ戻すことができるのか。

二つのブラックボックスを可視化する目的は、単に判断を説明可能にすることではない。

人間とAIが互いの限界を補い、互いの能力を高めながら、建築をより深く理解し、より良い設計へと発展させていく関係をつくることにある。

それは「人間かAIか」という対立から、「人間とAIをどう共創させるか」への転換である。

第2章|情報社会における建築デザインの課題
「情報が増えたことで、何が難しくなったのか」

情報社会は、建築デザインの可能性を大きく拡張した。
世界中の建築を瞬時に参照でき、図面、写真、映像、論文、施工方法、材料、環境性能、利用状況まで、かつてとは比較にならない量の情報を取得できるようになった。CAD、BIM、シミュレーション、データベース、SNS、そしてAIは、建築の設計・生産・評価の方法そのものを変えつつある。

しかし、情報が増えれば、そのまま建築デザインが豊かになるわけではない。
情報へのアクセスが容易になるほど、既存デザインの参照と再生産も容易になる。世界中の事例が同じ画面上に並び、歴史的背景や地域性を超えて共有され、アルゴリズムによって似た情報が繰り返し提示される。その結果、何が新しく、何が既存で、何に価値があり、何を基準に評価すべきなのかが、かえって分かりにくくなっている。

この問題は建築家だけの問題ではない。設計者、審査員、大学教授、建築学生、クライアント、利用者など、建築に関わるすべての主体が、同じ情報環境の変化に直面している。

本章では、情報社会が建築デザインにもたらしている課題を、それぞれの主体と、それらを取り巻く構造の両面から考える。

2-1|情報の民主化と建築デザインの変質

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かつて、建築に関する情報へアクセスするためには、専門書を読む、建築を実際に訪れる、大学で教育を受ける、設計事務所で経験を積むといった一定の過程が必要であった。現在では、その状況は大きく変化している。

GoogleやMicrosoft Bingなどの検索エンジン、ArchDaily、Dezeen、designboom、Domusなどの建築メディア、Pinterest、Instagram、TikTok、Facebook、X、Xiaohongshu、WeChatなどのSNS、さらにArchello、World Architecture Community、ArchINFORMなどの建築データベースによって、世界中の建築の写真、図面、コンセプトを瞬時に参照できる。さらにAIによって、既存の情報を検索するだけでなく、新しいイメージそのものを生成することも可能になった。これは、建築情報の「民主化」といえる。

その結果、専門家が長い時間をかけて蓄積してきた造形言語や設計手法も、容易に分解・参照・再構成できるようになった。特定の建築家に固有であったはずの材料の使い方、ファサード、空間構成、ディテール、表現方法などは、情報として切り離され、別の設計者や組織によって容易に参照・再利用されるようになっている。情報の民主化は、設計者が多様な知識や表現にアクセスできる環境を生み、建築デザインの可能性を大きく拡張した。その一方で、誰が生み出したデザインなのかという境界を曖昧にしている。

その結果、完成した建築を見ただけでは、それが著名な建築家によるものなのか、組織設計事務所や設計会社の設計者によるものなのかを判別することが難しい場合も増えている。かつて建築家の個性として認識されていた形態や材料、空間構成、さらには設計プロセスそのものまでが共有され、模倣可能な情報へと変化しているためである。

このような状況において、建築家に求められる固有性の水準は、これまで以上に高くなっている。単に名前や作家性をブランドとして確立するだけでは十分ではない。既存の形態や表現の組み合わせだけでは容易に模倣されてしまうからこそ、他者が単純には再現できない思考、設計方法、判断体系、そしてそれらから生み出される建築そのものを構築することが求められる。情報化社会は、建築デザインを誰もが参照できるものへと開放した。同時にそれは、建築家に対して、これまで以上に強い独自性と再現困難な設計思想を要求する時代へと変質している。

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2-2|創造の同時多発性とオリジナリティの不確定化

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第一の問題は、情報社会において、「オリジナルとは何か」を定義することが難しくなっていることである。

たとえ意識的に他者の建築を参照することを避けて設計したとしても、設計者はすでに多くの建築情報や技術、表現方法に接している。材料の使い方、空間構成、構法、ソフトウェア、図面表現、設計プロセスなどは、教育や実務、メディア、SNS、検索エンジンを通じて無意識のうちに蓄積されている。そのため、本人が参照していないと考えていても、過去に得た情報や経験が設計判断に影響している可能性を完全に排除することはできない。

さらに、意図的な参照を行わず、個人の発想や思考から建築を生み出したとしても、そのアイデアが世界で初めて考えられたものであるとは限らない。世界には膨大な数の建築家や設計者が存在し、類似した条件や課題に対して同時に思考している。自分自身が新しいと考えた発想が、すでに別の場所で考えられていたり、実際の建築として実現されていたりする可能性は常に存在する。

つまり、参照しないことはオリジナリティを保証することにはならない。むしろ参照しなければ、自らの提案が既存の建築や設計思想とどの程度異なっているのかを比較できず、そのオリジナリティを自ら検証し、コントロールすることさえ難しくなる。

一方で、既存の建築や技術を積極的に参照し、それらとの差異を意識しながら設計したとしても、オリジナリティの問題が解決するわけではない。世界中の建築家や設計者が、ほぼ同時に同じ材料、技術、ソフトウェア、建築メディア、データベースへアクセスできる現在では、互いに直接参照していなくても、似た形態、似たコンセプト、似た空間構成が複数の場所で同時に生まれる可能性がある。これは、**「創造の同時多発性」**と呼ぶことができる。

ある設計者が独自に到達したアイデアであっても、同じ時代、同じ技術環境、同じ社会的条件の中では、別の設計者がほぼ同時に同様の答えへ到達することがある。したがって、設計者自身がオリジナルだと考えていることと、それが客観的にオリジナルであることは必ずしも一致しない。

その検証にも限界がある。設計者が自らの提案を比較できる範囲は、自分が知っている建築、自分が検索できる情報、自分がアクセスできるデータベースの範囲に限られている。つまり、オリジナリティの判断は、多くの場合、**個人が経験し、認識している建築情報の範囲内で行われている。**あるデザインが大学のスタジオ内では新しく見えても、日本全体ではすでに一般的な手法かもしれない。日本では新しく見えても、海外では過去に実践されているかもしれない。さらに、既存事例として記録されていなくても、世界の別の場所で同時に検討されている可能性もある。

そもそも建築は、完全な無から生み出されるものではない。過去の建築、技術、文化、社会、言語、制度、経験など、無数の蓄積の上に成立している。したがって、既存のものから影響を受けること自体が問題なのではない。重要なのは、自らの建築が何を継承し、何を変化させ、何を新たに加えているのかを理解し、それを説明できることである。

現代におけるオリジナリティは、単純に「これまで見たことのない形」であるかどうかだけでは捉えることができない。むしろ、既存の膨大な建築群との関係の中で、自らの建築がどこに位置し、どの部分を更新し、どのような新しい関係を生み出しているのかという、相対的な位置関係として捉える必要がある。

もちろん、完全にオリジナルではないからといって、その建築が面白くない、あるいは価値がないということではない。既存の技術や形式を用いながら、新しい組み合わせ、新しい意味、新しい体験を生み出すことも、建築における重要な創造性である。しかし、自らの建築を世界中の既存事例と十分に比較し、その位置を客観的に把握できなければ、オリジナリティを厳密に定義することは難しい。

つまり情報社会において問われているのは、単に「新しいものをつくること」ではない。膨大な建築情報の中で、自らの設計がどこから来て、何と異なり、何を更新しているのかを客観的に認識することなのである。

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2-3|アルゴリズムと建築デザインの収斂

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第二の問題は、設計者自身が「何を見るか」「何を使うか」を完全には選択していないことである。

まず、「何を見るか」という情報収集の段階で、デザインの収斂が起こっている。現在、建築家や設計者は、Google、Microsoft Bing、Baidu、Yandexなどの検索エンジン、Instagram、Pinterest、TikTok、YouTube、Facebook、X、XiaohongshuなどのSNSや画像・動画プラットフォーム、さらにArchDaily、Dezeen、designboom、Architizer、Divisareなどの建築メディアやデータベースを通じて、日常的に膨大な建築情報へ接している。

しかし、そこで表示される情報のすべてを設計者自身が選択しているわけではない。検索結果の順位、関連画像、レコメンド、フィード、ショート動画などは、それぞれのプラットフォームが持つアルゴリズムによって選別される。一度特定の建築家、材料、ファサード、空間、家具、表現方法などを検索・閲覧すると、それに近い情報へ継続的に接する環境が形成されやすい。

その結果、設計者は世界中の膨大な情報にアクセスしているように見えながら、実際にはアルゴリズムによって個人化された限定的な情報環境の中で設計を考えている可能性がある。同じ関心を持つ設計者が同じプラットフォームを利用すれば、類似した建築、画像、素材、表現へ繰り返し接触することになる。情報へのアクセスが拡大する一方で、参照する情報そのものが収斂していくという逆説が生まれる。

さらに、この収斂は「何を見るか」という情報収集の段階だけではない。「何を使って設計するか」という設計行為そのものにも、デザインの収斂が起こっている。

AutoCAD、Revit、Archicad、VectorworksといったCAD・BIM、SketchUpやRhinoceros、Grasshopperなどの3Dモデリング・コンピュテーショナルデザインツールは、現代の建築設計を支える代表的なデジタル環境となっている。これらの技術は、設計精度、生産性、情報共有、複雑な形態の検討可能性を大きく向上させた。その一方で、ソフトウェアにはあらかじめ用意されたコマンド、オブジェクト、パラメータ、テンプレート、モジュール、プラグイン、標準ディテールなどが存在する。設計者は白紙からすべてを構築しているのではなく、ソフトウェアによってあらかじめ設定された設計可能性の中から選択しながら建築をつくっているのである。

BIMでは、この傾向がさらに明確になる。例えばRevitでは、壁、床、屋根、階段、柱、窓、扉、家具、設備機器などが「ファミリ」として体系化され、既存のファミリを読み込み、複製し、修正しながら建築モデルを構築できる。SketchUpの3D Warehouseのようなオンラインライブラリでは、家具、照明、建材、設備、植栽などの既製3Dモデルを検索し、そのまま設計モデルへ挿入することもできる。

これは極めて効率的である一方、世界中の設計者が同じライブラリ、同じBIMファミリ、同じ3Dモデル、同じプラグイン、同じテンプレートを利用する状況を生み出す。設計者が意識しなければ、家具や建具といった小さな要素だけでなく、寸法体系、モジュール、ファサード構成、曲面生成、パネル分割、構造パターンなど、建築を構成する思考の単位そのものが共通化していく。

Enscape、Lumion、Twinmotion、V-Ray、D5 Renderなどのレンダリングツール、Adobe PhotoshopやIllustratorなどの表現ツール、そして画像生成AIの普及によって、「建築をどのように見せるか」という表現の段階にも共通の技術環境が形成されている。同じレンダリングエンジン、アセット、植栽、人物、マテリアル、光の設定、画像生成手法が広く共有されれば、異なる設計者による建築であっても、最終的なビジュアル表現が似て見えることがある。

つまり現代の建築家は、検索エンジンやPinterestによって「何を見るか」を選別され、InstagramやTikTokによって「何に注目するか」を誘導され、RevitやArchicadによって「何を部品として扱うか」を規定され、RhinocerosやGrasshopperによって「どのように形を生成するか」を構築し、3D Warehouseなどから既存モデルを導入し、レンダリングツールや生成AIによって「どのように建築を表現するか」を決定している。

もちろん、これらの技術そのものがデザインを均質化するわけではない。問題は、便利な選択肢や推薦された情報を無意識に受け入れることによって、設計者の思考までが既存の情報環境やソフトウェアの構造に依存してしまうことである。情報社会以前にも、建築家は書籍、雑誌、大学教育、所属組織、師弟関係などを通じて影響を受けてきた。しかし現在は、その影響の範囲、速度、反復性が大きく異なる。

世界中の設計者が同じ情報プラットフォームと設計ツールへほぼ同時にアクセスし、同じ画像、同じモデル、同じ技術、同じ設計手法を共有できるようになった。その結果として生じるのが、建築デザインの収斂である。異なる国、異なる組織、異なる設計者が独立して設計しているにもかかわらず、参照している情報、使用しているソフトウェア、利用している部品、生成方法、表現技術が共通化することで、似た形態、似たファサード、似た空間構成、似たディテール、似たプレゼンテーションが生まれやすい環境が形成されている。

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2-4|場所と時間の横断による建築デザインの均質化

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第三の問題は、場所や時代を越えて大量の建築を同時に参照できるようになったことで、本来異なるはずの建築デザインが均質化していくことである。

情報化は、建築における空間的・時間的距離を急速に縮小させた。地理的には、日本、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、中東、南米など、世界中の建築をほぼ同時に参照できる。時間的にも、古代建築、伝統建築、歴史的様式、近代建築、モダニズム、ポストモダニズム、現代建築まで、数百年、数千年という時間差を持つ建築を同一の画面上で比較することができる。

かつて、異なる地域や時代の建築を知るためには、現地を訪れたり、専門書を読んだり、大学や研究機関で学んだりする必要があった。どの建築に接することができるかは、地理的距離、言語、教育環境、出版物などによって大きく制約されていた。しかし現在では、検索エンジン、SNS、建築メディア、オンラインデータベースを通じて、世界中の建築へ瞬時にアクセスすることができる。

東京の住宅、スイスの美術館、インドの学校、ブラジルの公共施設が同じ検索結果に並び、数百年前の寺院と数日前に竣工した建築がPinterestやInstagramの同じフィード上に表示される。これは、建築史上かつてないほど多様な建築へアクセスできる環境である。本来であれば、この環境は建築デザインの多様性を大きく拡張する可能性を持っている。異なる地域、文化、時代、思想、技術から学び、それまで接続されていなかった建築同士を結びつけることができるからである。

しかし、その一方で逆の現象も生じている。世界中の建築家や設計者が、同じ検索エンジン、同じSNS、同じ建築メディア、同じデータベースを通じて建築を参照することで、地域や文化が異なっていても、参照される建築群そのものが共通化していく。

ある国で発表された建築デザインが瞬時に世界へ共有され、その材料、ファサード、空間構成、ディテール、表現方法が別の地域で参照される。そして別の場所で生まれた建築が、再び情報として世界へ共有される。こうして建築デザインは、地域から地域へと高速で循環する。かつては地域ごとの気候、材料、施工技術、文化、生活習慣などによって建築の差異が生まれやすかった。しかし現在では、それらの地域的条件を越えて、世界中で同じ建築情報を共有することができる。その結果、東京、ニューヨーク、パリ、上海、シンガポールなど、まったく異なる都市であっても、似たファサード、似た材料、似た空間構成、似たインテリアが現れることがある。

時間についても同様である。古代建築のアーチや列柱、伝統建築の中庭、モダニズムの水平性、ポストモダニズムの引用、現代のパラメトリックな形態など、異なる時代に成立した建築的特徴を現在では同時に参照することができる。建築史は本来、技術、社会、思想、経済などの変化とともに時間的に展開してきた。しかし情報空間の中では、その時間的な順序を越えて、あらゆる時代の建築が現在利用できるデザイン資源として並べられる。

場所と時間の制約が弱まることによって、建築デザインの組み合わせの可能性は飛躍的に増加した。しかし同時に、世界中の設計者が場所と時間を越えて同じ情報群を共有することで、本来存在していた地域差や時代差も小さくなっていく。**参照できる建築の多様性は拡大しているにもかかわらず、生み出される建築の多様性が必ずしも拡大するとは限らない。**むしろ、検索されやすい建築、評価されやすい建築、視覚的に強い建築が世界中で繰り返し共有されることで、それらが新たな共通言語となり、建築デザインが特定の方向へ収斂していく可能性がある。

情報化によって、建築は場所と時間の制約から解放された。しかしその自由は同時に、場所による差異と時間による差異を弱め、世界の建築を均質なデザイン環境へ近づける可能性を持っている。したがって現代の建築家には、世界中の建築を自由に横断するだけではなく、そこから得た情報を、自らが設計する場所と時代へ再び結びつけることが求められる。

世界中の建築を見ることができる時代だからこそ、「世界で何が行われているか」と同時に、「なぜここで、今、この建築をつくるのか」を考えることが、これまで以上に重要になっているのである。

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2-5|断片的な共有による建築デザインの抽象化・安易化

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第四の問題は、建築が全体として理解されるのではなく、画像、形態、材料、ファサード、ディテール、コンセプトなどの断片として共有されることで、建築デザインが抽象化・安易化していくことである。

建築は本来、特定の場所と時間の中で、多数の条件が相互に関係することによって成立している。なぜその屋根が深いのか。なぜその壁が厚いのか。なぜその材料が使われているのか。なぜその中庭が存在するのか。なぜその開口部がその大きさなのか。そこには、気候、地形、文化、宗教、生活習慣、地域資源、施工技術、構造、コスト、法制度、社会制度、建築家の思想など、多数の条件が存在している。

ここでいう文脈とは、建築の形態や材料、空間、ディテールが生まれる背景となった場所、気候、時代、文化、社会、技術、経済、制度、生活などの条件と、それらの相互関係を指す。つまり建築の形態や材料、空間構成、ディテールは、本来それぞれが独立して存在しているのではなく、複数の文脈に対する応答として成立している。

しかし情報社会では、建築全体よりも、その一部分が情報として切り取られやすい。建築写真では象徴的な外観や空間が選ばれ、SNSでは一枚の画像や数秒の動画が共有される。Pinterestではファサードや材料のイメージが保存され、Instagramでは視覚的に印象の強い空間が拡散される。検索エンジンでは、画像単位で建築へ到達することも多い。その結果、建築は**「建築全体」から「参照可能な断片」へと変換されていく。**

例えば、ある地域で成立している深い軒を画像だけから参照すれば、それは「大きな軒」というデザイン要素として認識される。しかし、その軒が強い日射への応答なのか、降雨への対応なのか、地域の施工技術から生まれたのか、半屋外の生活空間を形成するためのものなのかという背景は、画像だけでは十分に読み取れない。

材料についても同様である。画像上では、材料は色、質感、パターンとして認識されやすい。しかし実際には、その選択に地域資源、輸送距離、施工技術、職人文化、構造方式、耐久性、コスト、環境負荷などが関係している。

これは歴史的建築についても起こる。アーチ、列柱、中庭、装飾、幾何学模様、比例体系などを、現代の設計者は容易に参照することができる。しかし、それらが成立した時代の構造技術、宗教観、権力構造、社会制度、建築生産の仕組みを理解せず、形だけを取り出せば、それは単なるデザインモチーフとして再利用される。

モダニズムについても同じである。ガラス、鉄、コンクリート、水平窓、自由な平面などを視覚的な特徴として捉えるだけでは、その背景にあった工業化、大量生産、新しい生活像、衛生思想、社会改革、技術革新といった思想的・社会的意味が失われる。このとき建築史は、思想や社会の変化としてではなく、利用可能な形態やスタイルのカタログとして理解されるようになる。

「木のファサード」「曲線建築」「ミニマル住宅」「ブルータリズム」「緑化建築」「透明な建築」といった言葉によって検索すれば、本来まったく異なる地域、用途、思想、時代から生まれた建築が、視覚的特徴だけによって同じカテゴリーへまとめられる。その結果、設計行為そのものも変化する。「この建築の思想を参照する」のではなく、「このファサードを使う」。「この建築が成立した仕組みを理解する」のではなく、「この材料感を取り入れる」。「この空間が生まれた理由を考える」のではなく、「この雰囲気を再現する」。このように建築が断片的な情報として扱われると、複雑な設計思想や社会的背景を理解しなくても、外形的な特徴だけを容易に取り入れることができる。

これは設計の自由度や速度を高める一方で、建築デザインを単純な要素の選択と組み合わせへと安易化する危険性を持っている。問題なのは、その要素がなぜ生まれたのかを理解しないまま、視覚的特徴だけを設計へ移植することである。断片化された情報が増えれば増えるほど、設計者は膨大な選択肢を持つことができる。しかし同時に、その選択がどのような背景や意味を持つのかを理解することは難しくなる。

情報社会における建築家に必要なのは、断片を収集する能力だけではない。断片化された形態、材料、空間、ディテールを、その背景にある文脈や因果関係へ再接続し、建築全体の中で意味づけ直す能力である。建築情報が簡単に取得できる時代だからこそ、「何を使うか」だけではなく、なぜそれを使うのか、その選択が自らの建築にどのような意味を与えるのかを問い直す必要があるのである。

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2-6|建築評価の不透明性——審査員・評価者の課題

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情報社会は、建築を「つくる側」だけでなく、「評価する側」にも大きな課題を生じさせている。

建築賞、設計コンペティション、卒業設計展、大学の設計講評、設計審査などでは、複数の建築や提案が比較され、評価され、場合によっては順位が与えられる。しかし、その評価において、何を見て、何をどの程度重視し、どのような比較を行った結果、その判断に至ったのかが明確に共有されているとは限らない。

建築の講評では、「面白い」「美しい」「新しい」「建築的である」「社会性がある」「完成度が高い」といった言葉が頻繁に使われる。しかし、「何が面白いのか」「どの部分が新しいのか」「何をもって建築的と判断したのか」「社会性をどの範囲で評価したのか」まで分解されなければ、その評価を他者が正確に理解することは難しい。

そもそも建築は、単一の価値によって評価できる対象ではない。形態、空間、機能、プログラム、構造、環境、材料、構法、施工、利用者、社会性、地域性、歴史性、経済性、持続可能性、表現、思想など、建築には多数の評価対象が存在する。また、同じ対象を評価していても、独創性を重視するのか、実現性を重視するのか、社会的意義を重視するのかによって結果は変化する。

したがって、本来は、**「何を評価対象とし、それぞれをどのような観点から見て、どの程度重視するのか」**という評価構造が必要になる。しかし、評価項目やその優先順位が十分に設定・共有されていない場合、最終的な判断は、審査員個人の経験、知識、思想、感覚、嗜好に大きく依存する。

これは前章で論じた、人間による判断のブラックボックスと同じ構造である。審査員の頭の中には、それまでに見てきた建築、設計経験、教育、専門領域、思想、価値観などによって形成された独自の評価体系が存在している。その評価体系をもとに「この作品がよい」と判断していたとしても、その内部で何が比較され、何が重視され、何が除外されたのかは外部からは見えない。

そのため、同じ作品を見ても、審査員が変われば評価が大きく変化することがある。これは主観的評価である以上、当然起こり得ることであり、それ自体が問題なのではない。建築評価において、審査員の経験、思想、感性、専門性は重要であり、それらを完全に排除する必要もない。問題は、その主観がどのような情報と判断構造によって形成されたのかが十分に説明されないまま、評価結果だけが提示されることである。

特に、最優秀賞、優秀賞、一位、二位、三位といった順位を設定する場合、この問題はより大きくなる。評価基準が明示されていないにもかかわらず順位が与えられれば、その順位は「建築として総合的に一位である」ことを示しているように見える。しかし実際には、「その審査員、あるいは審査団が、その時点で重視した価値観に最も適合した」という結果である可能性がある。

例えば、空間性を最も重視した結果なのか、独創性なのか、社会性なのか、実現性なのか、それとも審査員個人の建築観との親和性なのか。それらが明らかでなければ、一位と二位の間に**どのような評価上の差が存在したのかを第三者が検証することはできない。**したがって、評価軸を示さない順位付けは、建築の絶対的な優劣を表しているのではなく、特定の評価主体による主観的判断の結果として理解する必要がある。

さらに情報社会では、専門家による審査とは別の評価構造が急速に拡大している。Instagram、Pinterest、X、YouTube、TikTok、建築メディアなどを通じて建築が共有され、「いいね」の数、閲覧数、保存数、共有数、コメント数などが瞬時に数値化されるようになった。これによって、多くの人から注目された建築を定量的に把握することは可能になった。しかし、注目されたことと、建築として高く評価されたことは同じではない。

建築の価値は、外観の視覚的な強さだけによって決まるものではない。実際の空間体験、使いやすさ、周辺環境との関係、構造的合理性、環境性能、材料の選択、施工方法、経済性、運用、時間による変化など、画像だけでは把握できない側面が数多く存在する。ところがSNSでは、建築全体ではなく、象徴的な外観、一つの空間、一つのディテール、一枚の写真といった断片的な情報が評価対象になりやすい。

一枚の写真に十万件の「いいね」が集まったとしても、それによって建築全体の価値が十万件分評価されたわけではない。評価されているのは、その写真の構図かもしれない。特徴的な形態かもしれない。色彩や光かもしれない。撮影技術や画像表現かもしれない。著名な建築家の名前による影響かもしれない。つまり、「いいね」という数値だけを見ても、人々が建築の何を評価したのかを特定することはできない。

さらに、その数値そのものも完全に中立ではない。SNSや検索エンジンでは、すべての利用者にすべての建築情報が均等に提示されるわけではなく、閲覧履歴、検索履歴、フォロー関係、過去の反応などによって表示される情報が変化する。そのため、そもそも「誰の目に触れたのか」という母集団自体がアルゴリズムによって形成されている。多く表示された建築は反応を得る機会も増え、さらに拡散される一方で、同等の価値を持つ建築であっても、十分に表示されなければ反応を得ることはできない。

したがって、閲覧数や「いいね」の数は、建築そのものへの評価だけではなく、情報がどのように流通し、誰に提示され、どのような形式で見せられたのかという情報環境の影響を含んだ数値である。そして仮にアルゴリズムの影響を排除できたとしても、もう一つの問題が残る。「一万件のいいねが集まった」という事実だけでは、なぜ一万件のいいねが集まったのかを論理的に説明することができない。形態が評価されたのか、空間が評価されたのか、新規性なのか、社会的意義なのか、単純な視覚的インパクトなのか。その評価理由を分解できなければ、その数字を次の建築評価や設計へ直接利用することは難しい。

これは、専門家による審査とSNSによる大衆的評価に共通する問題である。一方では、審査員が「良い」と判断しても、その内部構造が見えない。もう一方では、多数の人が「いいね」を押しても、その理由の内部構造が見えない。評価主体や評価方法は異なっていても、どちらにも、**「結果は存在するが、その結果に至る判断構造が十分に説明されていない」**という共通した問題が存在している。

ここで重要なのは、主観的評価そのものを否定することではない。建築は人間が経験し、人間が使用し、人間が評価するものである以上、主観を完全に排除した評価は成立しない。審査員の経験、専門知識、思想、感覚、価値観は、建築の質を読み取るための重要な能力でもある。

必要なのは、主観を客観に置き換えることではなく、主観が成立する前提と判断過程を可能な限り可視化することである。何を評価対象としたのか。何を見たのか。何と比較したのか。何を重要だと考えたのか。それぞれをどの程度重視したのか。どの情報が不足していたのか。そして、なぜ最終的にその判断に至ったのか。これらを整理することによって初めて、「良い」「面白い」「新しい」という結果だけではなく、評価そのものの構造を共有することができる。

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2-7|評価される建築デザイン——大学教授・建築学生の課題

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情報社会は、建築教育にも大きな課題を生じさせている。

現在の建築学生は、世界中の設計作品、卒業設計、コンペティション受賞作品、建築家のプレゼンテーション、図面、模型、ダイアグラム、コンセプト文、講評記録などへ容易にアクセスすることができる。かつては大学や専門書、展覧会、講評会など限られた場所でしか得られなかった情報が、現在ではSNS、建築メディア、オンラインアーカイブ、動画配信サービスなどを通じて大量に共有されている。

これは学生にとって非常に大きな学習環境の拡張である一方、「建築について考えること」と「評価される作品を学習すること」が混同される危険性を生み出している。

過去の優秀作品や受賞作品を容易に確認できるということは、「どのようなテーマが評価されたのか」「どのような模型や図面が評価されたのか」「どのようなプレゼンテーションが強かったのか」を学生が短期間で学習できるということでもある。その結果、本来であれば敷地、社会、生活、技術、文化、環境などの条件から独自の問いを設定し、それに対して建築的な答えを構築するはずの設計行為が、無意識のうちに「評価される作品の形式へ近づける行為」へ変化する可能性がある。

この現象は、前述した「創造の同時多発性」と外形的には区別しにくい場合もある。学生自身が独自に考えた結果として似た作品へ到達したのか、過去に見た作品の影響が無意識に現れているのか、あるいは評価されてきた形式そのものを学習しているのかを明確に分離することは難しい。

問題は、過去の優秀作品を参照することそのものではない。建築教育において先行事例から学ぶことは不可欠であり、優れた作品の構成や表現、思考方法を分析することは重要である。しかし、評価された結果だけを参照し、その背景にあった問題設定や思考過程を十分に理解しないまま形式だけを取り入れれば、設計は容易に最適化されていく。

卒業設計で評価されやすいテーマ、巨大な都市問題、社会的課題、未来予測、地方再生、災害、環境、インフラなどが繰り返し扱われ、模型のスケール、図面構成、パース表現、ダイアグラム、プレゼンテーションの構成まで似ていけば、一つひとつの作品の完成度は高くなっても、全体としての思考の多様性は失われる。

特に問題なのは、テーマそのものの特殊性や新しさと、そのテーマを選択した思考の必然性が混同されることである。非常に珍しい社会問題や特殊な敷地、強いコンセプトを設定すれば、一見すると独創的な作品に見える。しかし、なぜその問題を選んだのか、なぜその場所で考える必要があるのか、どのような分析からそのテーマに到達したのかという背景が弱ければ、作品は表面的な新規性に依存することになる。テーマだけが強く、そこへ至る思考プロセスが単調であれば、それは本質的な独創性とは異なる。

さらに、過去の受賞作品が大量に蓄積されることで、学生作品は既存作品のブラッシュアップ、派生、再編集、焼き増しとして成立しやすくなる。過去に評価された構成をより精密にする。既存テーマを異なる敷地へ置き換える。既存の表現技法をより洗練する。こうした方向へ進めば、作品の完成度やプレゼンテーション能力は向上する。しかし、それだけでは「何を問い直したのか」「どの前提を疑ったのか」「どの新しい視点を加えたのか」という思考の更新が弱くなる。結果として、学生作品は見た目には多様であっても、その背後にある設計プロセスや問題設定は次第に類似していく。

ここには、前節で論じた評価のブラックボックスと同じ問題が存在している。教員が何を見て、何を重視し、何と比較し、なぜその作品を高く評価したのかが明確でなければ、学生は評価結果だけを学習する。その結果、「このような作品が評価される」という形式だけが次の世代へ継承され、建築教育そのものが特定の表現や価値観を再生産する可能性がある。

さらに情報社会では、その影響が大学内部だけに留まらない。卒業設計展、学生コンペ、SNS、建築メディアなどを通じて、ある大学やある世代で評価された作品が全国、さらには世界へ共有される。それを別の学生が参照し、再び類似したテーマや表現を用い、その作品が評価されてさらに共有される。この循環が続けば、教育機関や地域が異なっていても、学生作品のテーマ、表現、評価基準が次第に収斂していく可能性がある。

したがって、これからの建築教育に必要なのは、過去の優秀作品を見ないことでも、教員の主観的な批評を排除することでもない。重要なのは、何が事実で、何が分析で、何が解釈で、何が価値判断なのかを区別できる教育環境をつくることである。

教員の「良い」「面白い」「弱い」という判断をそのまま提示するのではなく、何を対象として見たのか、どの情報を根拠としたのか、何と比較したのか、どの価値を重視したのかを可能な限り共有する必要がある。学生側にも、評価された作品を模倣するのではなく、なぜその作品が評価されたのかを分解し、自らの設計と何が同じで、何が異なるのかを理解する能力が求められる。

そして自らのテーマについても、「新しいか」「目立つか」だけではなく、なぜその問題を選択したのか、どの情報からその問題を発見したのか、どのような分析を経て建築的な提案へ至ったのかを説明できなければならない。

情報社会における建築教育で問われているのは、評価される作品を効率的につくる能力ではなく、自ら問いを設定し、その問いに至った根拠と設計判断を説明しながら、既存の評価体系そのものを問い直す能力である。

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2-8|イメージによる意思決定——クライアント・発注者の課題

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情報社会は、建築を依頼するクライアントや発注者の意思決定にも大きな変化をもたらしている。

現在では、専門的な建築教育を受けていなくても、検索エンジン、Pinterest、Instagram、YouTube、建築メディアなどを通じて、世界中の建築、ホテル、住宅、オフィス、店舗、家具、材料などを容易に参照することができる。これは、クライアントが自らの要望や好みを設計者へ伝えやすくなったという点で大きな利点である。

一方で、建築に対する要求が、画像を起点として形成される機会も増えている。「このような外観にしたい」「このホテルのような雰囲気にしたい」「この建築家のような材料を使いたい」「この写真のような空間にしたい」といった要求である。

しかし、建築は一枚の画像によって成立しているわけではない。同じ形態や材料を用いたとしても、敷地、気候、用途、予算、構造、法規、施工方法、利用者、運営方法が異なれば、その建築的意味や成立条件は大きく異なる。

情報社会では、完成した建築の**「結果」は大量に共有される一方で、その結果に至るまでにどのような条件が存在し、何を比較し、何を諦め、何を優先し、なぜ最終的にその形になったのかという「過程」**は十分に共有されない場合が多い。

そのため、クライアントが画像として魅力を感じた建築が、自らの敷地や事業にとって適切な建築であるとは限らない。視覚的には魅力的でも、コストが合わない場合もある。気候条件が異なる場合もある。運営方法と整合しない場合もある。利用者にとって使いにくい場合もある。

つまり、情報社会では、「欲しい建築」と「必要な建築」が一致するとは限らないという問題が、これまで以上に顕在化している。

さらに、クライアントが比較できる建築の数が増えたことで、意思決定そのものも複雑になっている。A案とB案のどちらがよいのか。どの設計者へ依頼すべきなのか。コストを重視するのか、デザインを重視するのか、環境性能を重視するのか、将来価値を重視するのか。情報が増えるほど選択肢は増えるが、判断軸が明確でなければ、必ずしも適切な判断につながるわけではない。

ここでも問題となるのは、情報の不足ではなく、何を基準に情報を比較し、判断するのかという構造の不足である。

これからの設計者には、単に魅力的なイメージを提示するだけではなく、その建築がなぜ必要なのか、どのような条件から導かれたのか、他の選択肢と何が異なるのか、何を優先し、何を犠牲にしているのかを、クライアントが理解できる形で説明する能力が求められる。

そしてクライアント側にも、建築を単一の画像や印象によって選択するのではなく、複数の条件や価値を比較しながら意思決定するための視点が必要になる。情報社会における建築の意思決定とは、単に多くの選択肢から好みのものを選ぶことではなく、自らが何を必要とし、何を重要と考え、何を基準に建築を選択するのかを明確にすることなのである。

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2-9|情報過剰・文脈喪失・評価構造の不在

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ここまで論じてきた問題は、一見するとそれぞれ異なる問題に見える。建築家・設計者には、オリジナリティやデザインの収斂という問題がある。審査員・評価者には、評価基準や判断過程の不透明性という問題がある。大学教授と建築学生には、評価される作品への最適化や教育における価値基準の偏りという問題がある。クライアントや発注者には、膨大な選択肢の中から何を基準に判断するのかという意思決定の問題が存在する。

しかし、これらの問題の根底には共通する構造がある。それは、情報が不足しているのではなく、情報が過剰に存在しているにもかかわらず、それらを整理し、比較し、理解し、評価するための共通の構造が十分に存在していないということである。

情報社会以前にも、建築に関する情報は存在していた。しかし、参照できる建築の数、地域、時代、表現、技術には大きな制約があった。現在では、世界中の建築作品、図面、写真、論文、設計思想、施工方法、材料、技術、評価、利用者の反応までを短時間で大量に取得することができる。検索エンジン、SNS、建築メディア、オンラインデータベース、CAD、BIM、シミュレーション、生成AIなどによって、建築を取り巻く情報量は飛躍的に増大した。

しかし、情報が増えたからといって、建築を理解することが容易になったわけではない。むしろ、参照可能な情報が増加したことで、何を見るべきか、何を見なくてよいのか、何と比較すべきか、どの情報を重要と考えるべきかという判断そのものが複雑になった。

同じ建築についても、形態を見るのか、空間を見るのか、構造を見るのか、環境性能を見るのか、社会的背景を見るのかによって理解は変わる。同じ設計案についても、独創性を重視するのか、機能性を重視するのか、経済性を重視するのかによって評価は変化する。同じ建築情報であっても、それがどの地域、どの時代、どの文化、どの制度の中で成立したものなのかによって意味は異なる。

したがって、現代の建築における問題は、単純な情報不足ではない。むしろ、情報量の増大に対して、その情報を位置づけるための構造が追いついていないことにある。

情報は存在している。しかし、その情報が何についての情報なのかが整理されていない。比較対象は存在している。しかし、何を基準に比較するのかが統一されていない。評価結果は存在している。しかし、何が評価されたのかが十分に説明されていない。建築は大量に記録されている。しかし、それらがどのような関係によって結ばれているのかを体系的に把握することは難しい。

この状態では、情報を多く持っていること自体が、建築を深く理解していることにはならない。むしろ、膨大な情報の中から、自らの関心やアルゴリズムによって選ばれた一部分だけを見て、それを建築全体だと認識してしまう危険性がある。つまり情報社会における建築デザインの本質的な課題とは、情報が多すぎることそのものではなく、膨大な情報を整理し、関係づけ、比較し、評価するための共通言語と構造が不足していることなのである。る。

第3章|情報社会における建築デザインの価値転換
「これから何を価値として設計するのか」

情報環境そのものが変化したのであれば、建築デザインに対する価値観、設計者に求められる能力、建築を理解し評価する方法そのものも更新する必要がある。

工業化社会が建築の「つくり方」を大きく変えたとすれば、情報社会は建築の「捉え方」を変えようとしている。情報を獲得すること自体に価値があった時代から、膨大な情報を整理し、比較し、関係づけることに価値が生まれる時代へ。形態そのものの新しさを競う時代から、既存の建築群との関係の中で何を更新したのかを問う時代へ。そして建築を単一の価値や視点から捉えるのではなく、複数の対象、属性、関係、時間を同時に扱う時代へ移行しつつある。

本章では、この変化を建築デザインにおける価値観の転換として捉え、
次世代の建築デザイン理論である「多次元構築設計論」へと接続する。

3-1|情報の価値は「所有」から「構造化」へ変わる

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かつて、建築に関する情報を手に入れることは容易ではなかった。建築雑誌、書籍、大学、設計事務所、旅行、実際の建築体験など、設計者が建築を知るための経路は限られていた。そのため、多くの建築を知っていること、多くの図面を見た経験があること、専門的な情報へアクセスできること自体が、設計者にとって重要な能力であった。

しかし情報社会では、その状況が反転している。検索すれば数秒で世界中の建築を見ることができ、SNSを開けば新しい建築が次々と表示される。画像検索を用いれば類似する形態や空間を探すことができ、AIを利用すれば膨大な文章や画像、データを短時間で整理することも可能になった。情報そのものは、以前よりはるかに容易に取得できる。

その結果、建築デザインにおける価値は、**「どれだけ情報を持っているか」から「情報をどのように扱うか」へと移行する。**情報が増えれば増えるほど、そのすべてを見ることはできない。何を収集し、何を除外し、何と何を比較し、どの情報を重要と判断するのかという選択が必要になる。

次世代の設計者に求められるのは、単に多くの建築を記憶していることではない。膨大な情報の中から必要な情報を発見し、それが何についての情報なのかを分類し、他の情報との関係を把握し、建築全体の中に位置づける能力である。つまり、情報そのものではなく、情報を構造へ変換する能力が新たな設計能力となる。

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3-2|建築の価値は「単独の作品」から「相対的な位置」へ変わる

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情報量の増大とともに、建築の比較対象も大きく拡張する。かつて、ある建築が新しいかどうかを考える際、設計者が知り得る比較対象には大きな限界があった。しかし現在では、同じ用途、同じ材料、同じ構法、同じ規模、同じ社会課題を扱った建築が世界のどこに存在するのかを調べ、比較することができる。

これは、建築における「新しさ」や「独自性」の意味を変える。単に見たことのない形をつくるだけでは、その建築が新しいとは言えない。外観が似ていても構造原理はまったく異なるかもしれず、形態が異なっていても空間構成や設計思想は同じかもしれない。同じ材料を使用していても、その材料が選択された社会的、環境的、文化的理由は異なるかもしれない。

したがって比較可能な情報が増えるほど、問われるのは「新しいか、古いか」という単純な二分法ではなく、**「何に対して、どの部分が、どの程度異なるのか」**という相対的な位置である。ある建築の価値は、それ単独で完全に決定されるのではなく、過去の建築、同時代の建築、同じ地域の建築、世界の建築との関係の中で理解される。

次世代の建築デザインでは、自らの提案を孤立した作品として提示するだけでは十分ではない。何を継承し、何を変更し、何を付加し、既存の建築群の中でどこに位置するのかを把握することが必要になる。建築の価値は「作品そのもの」だけでなく、「建築群の中で占める位置」によっても記述されるようになる。

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3-3|創造性は「新しい形」から「新しい関係」へ拡張する

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世界中の情報が共有され、同じ時代の設計者が同じ技術、ソフトウェア、材料、社会問題へアクセスするようになれば、異なる場所で類似した建築が生まれる可能性は高くなる。互いに模倣していなくても、共通する条件から類似した解答へ同時に到達することがある。

この状況において、創造性を単純な形態の差異だけから説明することは難しくなる。新しい曲面をつくること、新しいファサードをつくること、見たことのない造形を生み出すことだけが創造ではない。むしろ重要になるのは、何と何を結びつけたのか、既存のものをどのような関係へ組み替えたのか、それまで分離されていた対象の間にどのような新しい関係を構築したのかという点である。

既存の材料であっても、新しい構法との関係をつくることができる。既存の用途であっても、異なる活動を組み合わせることで新しい空間を生み出すことができる。既存の建築形式であっても、地域社会、環境、技術との新しい関係を構築することで、その意味を更新することができる。

つまり次世代における創造性とは、何もないところから完全に新しいものを発明することだけではない。既存の対象、情報、条件、価値を再構成し、それまで存在しなかった関係を成立させることへと拡張される。「新しいものをつくること」から「新しい関係を構築すること」へ。これは、情報社会における創造性の重要な価値転換である。

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3-4|建築は「視覚的作品」から「多層的な情報体」へ変わる

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情報社会では、建築そのものの捉え方も変化する。これまで建築は、図面、模型、写真、文章などによって表現されてきた。特にインターネットやSNSの普及以降、建築は画像として世界中を流通するようになり、建築を「見ること」と建築を「知ること」が近接するようになった。

しかし、建築は画像だけではない。形態があり、空間があり、構造があり、材料がある。環境性能、設備、施工方法、コスト、法制度、利用者、運営、維持管理、時間による変化も存在する。完成写真に写る建築は、その建築を構成している情報の一部分にすぎない。

BIM、シミュレーション、センサー、GIS、デジタルツイン、各種データベースなどによって、これまで図面や写真の背後に存在していた建築情報も記述し、蓄積し、関連づけることが可能になりつつある。そうであるならば、建築は単なる視覚的対象ではなく、多数の対象、属性、条件、関係によって構成された情報体として捉えることができる。

重要なのは、建築をデータへ還元することではない。建築に存在する情報を明らかにし、それらがどのような関係によって一つの建築を成立させているのかを記述することである。次世代の建築デザインでは、「建築をどのように見せるか」と同時に、**「建築には何が存在し、それらがどのようにつながっているのか」**を理解することが重要になる。

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3-5|「良い建築」は単一の価値から複数の価値へ変わる

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建築に求められる価値は、すでに一つではない。造形的に魅力的であること、空間が豊かであること、機能的であること、安全であること、経済的であること、環境負荷が小さいこと、長く利用できること、地域と関係していること、利用者にとって快適であること、社会的な価値を生み出すことなど、建築には複数の価値が同時に求められる。

そして、それらの価値は必ずしも同時に最大化できるわけではない。環境性能を高めることで初期コストが増加する場合もある。造形的な自由度を高めることで施工性が低下する場合もある。経済合理性を優先することで、地域固有の材料や技術を採用することが難しくなる場合もある。

したがって、「良い建築」を単一の軸によって順位づけることには限界がある。次世代の建築評価で重要になるのは、すべての建築を一つの数値へ還元することではなく、その建築がどの価値に強みを持ち、どの価値に課題を持ち、複数の価値の間にどのようなトレードオフが存在するのかを理解することである。

つまり建築評価は、「一つの尺度によって優劣を決定すること」から、**「複数の価値がどのような状態で共存しているのかを把握すること」**へ変化する。建築の価値は点ではなく、複数の次元によって形成される構造として捉える必要がある。

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3-6|AIによって価値は「生成する能力」から「判断する能力」へ移る

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生成AIの発達は、建築家の役割そのものにも影響する。AIは文章を生成し、画像を生成し、情報を検索・分類・比較し、条件に応じて複数の案を提示することができる。今後、設計者が多くの時間を費やしてきた作業の一部は、さらに高速化、自動化されていくだろう。

しかし、案を大量につくることが容易になればなるほど、重要になるのは「何をつくるか」ではなく、「なぜそれを選択するのか」である。百案を生成できても、その中から何を選択するのかという判断がなければ設計にはならない。AIが適切な答えを提示したとしても、何をもって適切とするのかという基準を人間が持っていなければ、その答えを評価することはできない。

したがって設計者に求められる能力の重心は、大量の案を生成することから、問題を設定し、条件を構造化し、評価軸を設定し、生成された可能性の中から何を選択するのかを判断することへ移っていく。答えを出す能力だけではなく、何を問うべきかを定義する能力。形態をつくる能力だけではなく、何を根拠にその形態を選択するのかを説明する能力。そして異なる価値の間に、どのような関係を構築するのかを決定する能力である。

AIは建築家の創造性を不要にするものではない。むしろ、生成そのものの希少性が低下することで、人間の判断、価値設定、問題設定の重要性を相対的に高める存在と考えることができる。

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3-7|設計は「完成させること」から「循環させること」へ変わる

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従来、建築設計は竣工によって一つの区切りを迎えてきた。設計し、施工し、完成すれば、一つの作品として評価される。しかし情報技術によって、完成後の建築についても多くの情報を取得できるようになりつつある。

エネルギー消費、温熱環境、利用状況、人の移動、設備の状態、維持管理、改修履歴、利用者からの評価などを継続的に記録することができれば、建築は完成した瞬間だけで評価される対象ではなくなる。設計者が意図した状態と、実際に利用された結果を比較し、何が機能し、何が機能しなかったのかを検証することが可能になる。

その結果、建築デザインは、設計 → 建設 → 利用 → 計測 → 分析 → 評価 → 改善 → 次の設計という循環として捉えることができる。この循環が成立すれば、一つの建築から得られた知識を次の建築へ接続することができ、設計そのものが継続的な学習システムとなる。

これは建築の価値を「竣工時の完成度」だけで判断しないということでもある。竣工時には魅力的でも、十年後に機能しなくなる建築がある一方、利用者によって変化しながら長く価値を生み続ける建築もある。次世代の建築デザインには、建築を固定された完成品としてではなく、時間の中で使用され、変化し、評価され、更新され続ける対象として捉える視点が必要になる。

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3-8|情報の「量」よりも「関係」が重要になる

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ここまでの変化には共通する方向性がある。情報が増え、比較対象が増え、評価軸が増え、設計手法が増え、設計に関わる主体も増えている。さらに、設計から施工、利用、運用、改修まで、建築を考える時間軸も拡張している。つまり、建築デザインが扱う世界そのものが多様化し、複雑化している。

しかし、情報を増やすだけでは建築を理解することはできない。百の情報を持っていても、それらが互いに孤立していれば、建築全体の意味は見えてこない。重要なのは、情報の数ではなく、情報と情報の間にどのような関係が存在するのかである。

形態と構造、空間と行動、材料と環境、建築と都市、コストと品質、設計と施工、現在と未来、人間とAI。これらは独立した問題ではなく、一つの建築の中で相互に影響している。ある一つの条件を変更すれば、別の条件も変化する。建築とは、多数の要素が単純に集合したものではなく、それらの関係によって成立するシステムなのである。

したがって、情報社会において必要なのは、さらに多くの情報を蓄積することではない。増え続ける情報を関係づけ、建築として理解できる構造へ変換することである。次世代の設計において中心となるのは、要素そのものよりも、その要素同士を結ぶ関係である。

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3-9|主観と客観は対立から循環へ変わる

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建築を多くの情報から分析しようとすると、「建築を客観的な数値だけで評価するのか」という問題が生じる。しかし、次世代の建築デザインが目指すべきなのは、主観を客観へ置き換えることではない。

建築デザインの最終的な判断には、人間の感覚、経験、思想、直感、美意識、価値観が不可欠である。同じ情報を見ても、何を重要と考えるかは設計者によって異なる。同じ条件から異なる建築を構想できることこそが、人間の創造性である。

一方で、その主観的判断の前提となる情報は、可能な限り記述し、整理し、比較することができる。何を見たのか。何と比較したのか。どの条件を重視したのか。何を犠牲にしたのか。どのような結果が予測されるのか。それらを可視化することによって、人間はより意識的に判断することができる。

したがって、主観と客観を二者択一として考える必要はない。**客観的に情報を分析し、その結果をもとに主観的に判断し、その判断の結果を再び分析する。**この往復によって設計を更新していくことが重要になる。

次世代の建築デザインに必要なのは、主観的創造力 × 客観的分析力である。客観によって主観を排除するのではなく、客観的分析によって主観的判断の可能性を広げる。その循環によって、単なる感覚にも、単なる数値にも還元されない建築デザインが成立する。

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3-10|「建築を設計する」から「思考を設計する」へ

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情報社会では、建築を直接設計する以前に、「何をどのように考えるのか」を設計することが重要になる。

何を問題として認識するのか。どの情報を集めるのか。どの情報を除外するのか。どの対象と比較するのか。どの尺度で考えるのか。どの価値を優先するのか。どの段階で誰の判断を取り入れるのか。これらの設定によって、最終的に生まれる建築は大きく変化する。

これまで建築家に求められてきたのは、形を考え、空間を構成し、動線を計画し、材料を選択し、構造や設備と統合し、建築として成立させる能力であった。これらの能力が不要になるわけではない。しかし、それ以前に存在する認識、選択、比較、判断の構造そのものを設計する能力の重要性が高まっている。

生成AIによって無数の案を生成できるのであれば、重要なのは生成数ではなく、どの条件で生成するかである。シミュレーションによって多数の性能を計算できるのであれば、重要なのは計算量ではなく、何を評価対象とするかである。世界中の建築を検索できるのであれば、重要なのは検索結果の数ではなく、何と比較するかである。

つまり、情報社会における設計者の能力は、**「建築を設計する能力」から「建築をどのように考えるかを設計する能力」へと拡張する。**これを、本書では「思考の設計」と捉える。

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3-11|建築を「単一の視点」から「多次元的な構造」へ変える

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ここまで論じてきた価値転換を統合すると、一つの方向へ到達する。

情報は、所有するものから構造化するものへ変わる。建築は、孤立した作品から他の建築との関係の中に位置づけられる対象へ変わる。創造性は、新しい形をつくることから新しい関係を構築することへ拡張する。建築は、画像から多数の情報を含む情報体へ変わる。評価は、単一の尺度から複数の価値の関係を捉えるものへ変わる。AIによって、生成そのものよりも問題設定と判断の価値が高まる。設計は、竣工で終了する行為から、利用と評価を通じて循環する行為へ変わる。

これらすべてに共通するのは、建築を一つの視点だけでは捉えられなくなっていることである。

建築は形態だけではない。空間だけでもない。構造、環境、材料、設備、コスト、施工だけでもない。社会、文化、歴史、地域、利用者だけでもない。そして、それらを単純に別々の評価項目として横に並べるだけでも不十分である。

一つの形態が構造に影響し、構造が空間に影響する。材料の選択が環境性能や施工方法、コスト、地域性に影響する。利用者の行動が空間構成に影響し、空間構成が再び人間の行動を変える。現在の設計判断が、数十年後の維持管理や改修可能性に影響する。

つまり建築とは、複数の対象、要素、属性、文脈、時間、価値が相互に関係しながら成立する多次元的な構造である。

情報社会以前から建築そのものは複雑であった。しかし、人間が一度に把握できる情報には限界があったため、多くの場合、その一部分を取り出して理解し、設計し、評価するしかなかった。現在では、データベース、BIM、シミュレーション、画像解析、自然言語処理、AIなどによって、従来は個別に扱われていた情報を統合し、複数の次元を横断して分析する可能性が生まれている。

だからこそ、情報社会において必要なのは、建築を単純化することではない。複雑なものを複雑なまま扱いながら、その内部構造を理解できる方法をつくることである。

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3-12|多次元構築設計論——次世代の建築デザインへ

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ここから、本書が提案する「多次元構築設計論」が始まる。

多次元構築設計論とは、建築を単一の形態、思想、性能、評価軸から捉えるのではなく、建築を構成する複数の対象、要素、属性、文脈、関係、時間、価値を多次元的に記述し、それらの関係を分析しながら設計・評価・更新していくための考え方である。

これは、建築を一つの数値によって評価する理論ではない。また、建築家の感性や直感をAIやデータへ置き換える理論でもない。むしろ、人間が感覚的に扱ってきた複雑な建築を、より広い視野から認識できる状態をつくり、その上で人間の創造的判断を行うための基盤である。

従来の設計では、一人の建築家あるいは設計チームの経験や知識の中で、膨大な条件が統合されてきた。優れた建築家ほど、多くの条件を同時に把握し、直感的あるいは経験的に一つの建築へまとめる能力を持っている。しかし、その判断構造の多くは個人の内部に存在し、他者から見ることはできない。

多次元構築設計論では、その判断を完全に形式化しようとするのではなく、**判断の前提となる建築情報を可能な限り構造化する。**何を対象としているのか。そこにどのような要素が存在するのか。それぞれがどのような属性を持っているのか。それらの間にどのような関係が存在するのか。どの文脈の中に位置しているのか。そして、どのような価値によって評価されるのか。それらを多次元的に記述することで、人間が建築全体をより広い視野から理解できる状態をつくる。

その目的は、「完璧な答え」を自動的に導くことではない。むしろ、何を見落としているのか、何と比較していないのか、どの価値に偏っているのか、どこに新しい可能性が存在するのかを発見できる状態をつくることにある。

建築家は、その情報をもとに新しい関係を構築する。評価者は、その情報をもとに自らの評価軸を明確にする。学生は、自らの提案が既存の建築群の中でどこに位置するのかを理解する。クライアントは、自らが何を重要と考えているのかを把握する。そしてAIは、人間だけでは処理できない情報の整理、比較、分析を支援する。

人間が建築をつくり、AIが建築を決めるのではない。**人間とAIが異なる役割を持ちながら、建築をより多くの次元から理解し、人間がより深く判断できる設計環境を構築する。**それが、多次元構築設計論の基本的な立場である。

情報社会において、建築デザインに必要なのは、より多くの情報でも、より多くの形でも、より多くのAIでもない。必要なのは、それらを一つの建築として理解するための構造である。

では、建築には何が存在しているのだろうか。何を対象として設計するのか。何を分析し、何と比較し、何を評価するのか。それらは、どのような関係によって一つの建築を形成しているのか。

建築を多次元的に記述し、分析し、比較し、評価し、その関係を再構築すること。

それが、情報社会における次世代の建築デザインであり、本書が提案する多次元構築設計論である。

第4章|建築家の職能の変化と次世代の建築家像
「これから建築家は何をする存在になるのか」

建築家とは何か。
建物の形を考える人なのか、図面を描く人なのか、建築物の安全性に責任を持つ専門家なのか。それとも、都市や社会そのものを構想する人なのか。この問いに対する答えは、時代によって変化してきた。
建築家という職業は、最初から現在のような姿で存在していたわけではない。建築を考えること、材料を扱うこと、構造を成立させること、実際につくることが比較的一体化していた時代から、社会と技術が複雑化するにつれて、構造、設備、環境、施工、コスト、不動産、都市計画などの専門領域が次々と分化していった。現在では、一つの建築を成立させるために数十、時には数百の専門家や企業が関係する。建築について知ることのできる情報も、扱うことのできる技術も、増大した。しかし、情報、技術、専門性、価値観が増えすぎたことで、建築全体を一人の人間が把握することはますます困難になっている。
そしてAI、BIM、データベース、シミュレーションなどの情報技術が、この分散した建築の知識を再び接続し始めている。
建築家の次の職能は、AIに設計を任せることではない。情報社会によって分散した世界を、人間が理解できる構造として再び統合することである。
その統合を可能にするための共通構造としてGAASがあり、その設計思想として「多次元構築設計論」がある。

4-1|建築家は何をしてきたのか

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建築家の原型を遡ると、現在のように設計だけを専門とする人物ではなく、建築を成立させるための知識と技術を総合的に扱う人物に行き着く。古代や中世の大規模建築では、設計者、構造技術者、施工者、職人の境界は現在ほど明確ではなかった。建築を構想し、寸法を決め、材料を理解し、施工方法を考え、人を統率し、実際につくり上げるまでが連続していた。日本における大工棟梁も同様である。寺院、城郭、町家などを成立させるためには、木材、加工、構造、施工、空間、意匠を横断的に理解する必要があった。つまり建築家の原型とは、形を考えるだけの人ではない。建築という複雑な行為全体を統合する人だった。

西洋ではルネサンス期に大きな転換が起きる。フィリッポ・ブルネレスキ、レオン・バッティスタ・アルベルティ、アンドレア・パッラーディオらの時代になると、建築を実際につくる職人から、建築を知的に構想する人物が徐々に分離していく。建築は単なる建設技術ではなく、数学、比例、美学、歴史、都市、政治を扱う知的活動として位置づけられるようになった。建築家は熟練工であるだけでなく、芸術家、思想家、知識人へと変化した。そして重要なのは、ここで建築家が「建物そのもの」を直接つくる人から、「建物を実現するための情報」をつくる人へ変わったことである。図面や模型によって、まだ存在していない建築を先に構想し、その情報を他者へ伝達し、現実の建築として実現させる。建築家という職能は、この情報化によって成立したともいえる。

19世紀になると、産業革命によって鉄、鋼、ガラス、コンクリートなどの材料が発達し、鉄道、駅、工場、百貨店、オフィスなど、それまで存在しなかった建築類型が登場する。構造技術や設備技術は高度化し、建築家だけですべてを扱うことは徐々に難しくなった。同時に、建築家は専門職として制度化されていく。教育、資格、契約、職業倫理などが整備され、建築家は社会の中で明確な専門職となった。20世紀に入ると、その役割はさらに拡張する。ル・コルビュジエは住宅から都市までを連続的に捉え、ヴァルター・グロピウスは建築、工芸、教育、工業生産を結びつけ、ミース・ファン・デル・ローエは構造技術と空間によって新しい近代社会の建築像を提示した。建築家は依頼された建物を設計する専門家ではなく、「これから人間はどのように住み、働き、都市をつくるのか」という社会像そのものを提示する存在になった。建築家の対象は建物から都市へ、都市から社会へと拡大していったのである。

日本でも明治期以降、建築家の役割は大きく変化した。江戸時代まで建築生産の中心を担っていた大工棟梁に代わり、近代的な建築教育を受けた建築家が登場する。ジョサイア・コンドルのもとで学んだ辰野金吾らの世代にとって、銀行、駅、官庁、大学などを設計することは、単なる建物の設計ではなく近代国家そのものを空間としてつくることだった。戦後には丹下健三が、広島平和記念公園、国立代々木競技場、東京都庁舎などを通じて、復興、成長、国家、都市を建築によって表現した。その周囲から菊竹清訓、黒川紀章、槇文彦らが現れ、メタボリズムによって急速に変化する都市そのものを設計対象として捉えた。さらに磯崎新、安藤忠雄、伊東豊雄、妹島和世、西沢立衛、坂茂、隈研吾らの世代になると、日本の建築家は世界各地で仕事を行い、建築だけでなく大学、研究、出版、展覧会、都市開発、地域再生などへ活動領域を広げていった。

この歴史を大きく見ると、建築家は建築を「つくる人」から「構想する人」へ、さらに都市や社会の「未来を構想する人」へと職能を拡張してきた。しかし、その拡張と同時に、建築家の内部にあった知識は構造、設備、施工、環境、都市、不動産などへ分化していった。建築家の対象は広がったにもかかわらず、一人の建築家が扱える領域は相対的に狭くなっていったのである。この矛盾が、現代の建築家を考える出発点になる。

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4-2|建築家と設計者の違い、それぞれの職能の変化

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そもそも「建築家」「建築士」「設計者」は同じものではない。日本では建築士は法律によって定められた資格であり、設計者はプロジェクトにおいて設計図書を作成する役割を示す。一方、「建築家」は必ずしも法的資格を意味せず、建築設計を通して思想や文化を生み出す人物を指す、より社会的、文化的な概念として使われている。したがって、建築士の数と建築家の数、設計実務者の数をそのまま同じものとして扱うことはできない。日本には多数の建築士が存在し、その活動場所も設計事務所だけではない。ゼネコン、デベロッパー、行政、メーカー、PM会社など、建築に関わる職域は広がっている。さらに世界には多数の建築家、設計者、設計会社が存在し、建築を専門とする人間そのものが社会の中に広く存在するようになった。

しかし、人が増えたから同じ仕事をする人が増えただけではない。むしろ、建築を成立させるために必要な情報と技術が増大したことで、それぞれが異なる役割を担うようになった。構造、設備、環境、材料、ランドスケープ、インテリア、照明、音響、ファサード、積算、PM、CM、BIM、コンピュテーショナルデザイン、不動産、運営など、建築を構成する専門領域は細分化され続けている。その背景には、情報と技術が空間と時間を越えて蓄積され続けるという現代社会の構造がある。過去の建築、研究、図面、材料、構法、施工技術、失敗、法制度は失われるのではなく、記録され、共有され、新しい情報の上にさらに重ねられていく。技術も同じである。新しい構造技術が生まれても古い技術がすべて消えるわけではなく、選択肢として残り続ける。材料も設備も環境技術もデジタル技術も増え続ける。建築家が参照できる世界は拡大し続ける一方、それを一人で把握することは不可能に近づいている。

その結果、現代の建築家や設計者は、自らの役割を見いださなければならなくなった。かつては「建築家であること」自体が比較的明確な職能を示していた。しかし現在では、建築家という肩書だけでは何をする人物なのかが分からない。住宅を専門にするのか、巨大再開発を扱うのか、地域社会に関わるのか、既存建築を改修するのか、環境を扱うのか、不動産や事業計画から関与するのか、デジタル技術を扱うのか。建築家や設計者の人数が増え、専門領域が増えたことで、それぞれが「自分は何を見る人なのか」「何を担う人なのか」「何によって価値を生み出すのか」を示す必要が生まれた。専門性を持つことは、他者との違いをつくる方法にもなったのである。

しかし、ここに新しい問題が生まれる。専門性が高まれば高まるほど、それぞれの領域は高度になるが、建築全体を見る視点は弱くなる。構造の専門家は構造を見る。環境の専門家は環境を見る。地域に関わる建築家は地域を見る。不動産に関わる建築家は事業を見る。どの視点も重要である。しかし、それぞれが正しくても、それだけで一つの建築になるわけではない。現代の問題は、多様な専門性が存在することではない。それらを相互に位置づけ、比較し、統合する共通の構造が弱くなっていることである。

つまり建築家や設計者の増加、情報と技術の増大、専門領域の細分化によって、建築はより高度になった。同時に、建築全体はより見えにくくなった。一人の建築家がすべてを支配する時代は終わり、多数の専門家が部分ごとに価値を担う時代になった。しかし、部分が増えれば自動的に全体の質が上がるわけではない。むしろ、それらを結びつける存在がなければ、建築は専門性の集合に分解される。だからこそ現代の建築家には、すべての専門分野について専門家以上の知識を持つことではなく、蓄積された情報、技術、専門家、価値観の関係を理解し、それらを一つの建築として統合する能力が求められている。

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4-3|スターアーキテクトの終焉──分散する建築家の影響力

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建築家の影響力もまた、少数のスターアーキテクトへの集中から、多数の建築家への分散へと変化している。20世紀後半から21世紀初頭にかけて、建築界にはフランク・ゲーリー、ノーマン・フォスター、レム・コールハース、ザハ・ハディド、ジャン・ヌーヴェル、安藤忠雄、伊東豊雄、隈研吾など、個人の名前そのものが大きな価値を持つ建築家が存在した。誰が設計するのかが、美術館やホテル、商業施設、再開発、スタジアムの文化的価値や都市のブランドに直接結びついた。建築家は設計者であるだけでなく、思想家であり、文化人であり、ブランドであり、時代を象徴する人物でもあった。

しかし現在、この構造は変化している。スターアーキテクトが完全に消えたわけではない。世界各地で大規模なプロジェクトを進める建築家や設計組織は現在も存在する。変わったのは、少数の人物だけが建築界全体の価値観を代表することが難しくなったことである。かつて建築に関する情報が雑誌、書籍、大学、展覧会など限られた媒体を通して流通していた時代には、社会が共有する建築家の数も限られていた。しかし現在では、Instagram、ArchDaily、Dezeen、YouTube、Pinterest、大学や設計事務所のウェブサイトなどを通じて、世界中の建築が同時に可視化される。情報量が増え、見ることのできる建築家が増え、価値観そのものが増えたことで、一人の建築家が建築界全体を代表することは難しくなった。

同時に、建築家の職能そのものも多様化している。地域の日常、歴史、材料、共同体を読み取る建築家がいる。既存建築を壊さず改修や増築によって価値を更新する建築家がいる。住宅、災害支援、教育、研究、都市政策、不動産、コンピュテーショナルデザインなど、異なる領域で活動する建築家がいる。劉家琨、Lacaton & Vassal、Alejandro Aravena、坂茂、レム・コールハースとOMA/AMOなどを見ても、現代の建築家が同じ方向へ進んでいるわけではないことが分かる。それぞれが異なる問題を発見し、異なる専門性を持ち、異なる価値を社会へ提示している。これは建築家の可能性が広がった結果である。しかし同時に、建築家の影響力も分散した。

建築家のオリジナリティには、芸術的で独創的な造形や、他者にはない強い作風、主観的な思想を建築として表現することも含まれる。それは建築の重要な価値であり、失われるべきものではない。しかし情報社会では、単に「より独創的な形をつくる」「より強い主観を持つ」だけでは、かつてのスターアーキテクトのような影響力を獲得できるとは限らない。なぜなら、現在は独創的な表現そのものが大量に存在するからである。世界中の建築が共有され、無数のデザイン、思想、価値観が同時に並立している。どれほど特徴的な作風であっても、それが社会、環境、利用者、地域、技術、経済、時間などとの関係を持たなければ、情報社会に存在する無数の「個」の一つとして相対化される可能性がある。

ここに現代の建築界の混沌がある。建築家が少なくなったのではない。逆に増えた。専門性がなくなったのではない。逆に高度になった。オリジナリティがなくなったのでもない。むしろ無数のオリジナリティが存在している。問題は、それらをどのように位置づけ、何を重要と考え、どの価値を優先し、どのように建築全体へ結びつけるのかという共通の構造が不足していることである。建築家の影響力が多数へ分散することで、一人ひとりの影響力は相対的に小さくなり、一つの思想や一つの作風だけで時代全体を方向づけることは難しくなった。現代に不足しているのは、さらに強い個性ではない。分散した個性、専門性、情報、技術、価値観を関係づける力である。

スターアーキテクトの終焉とは、スターが完全にいなくなることではない。それは、一人の建築家が一つの作風によって時代全体を代表する構造が成立しにくくなったということである。建築家の影響力は消えたのではない。分散した。そして分散したからこそ、次の建築家には再び「統合」が求められる。

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4-4|情報社会によって変わる建築家や設計者の役割

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分散した建築の知識と職能を再び横断的に扱う可能性を生み出しているのは、AIだけではない。データベース、検索技術、BIM、シミュレーション、画像解析、自然言語処理、クラウド、ネットワークなど、情報社会を構成する技術全体である。これらによって、文章、画像、図面、法規、事例、材料、環境性能、コスト、施工、運用など、これまで異なる場所に存在していた建築情報を同じ情報空間の中で扱えるようになった。建築は初めて、時間と空間を越えて蓄積された膨大な情報を横断的に検索し、比較し、分析し、関係づけることのできる段階へ入りつつある。

AIは、その中でも特に強力な技術である。人間には処理できない情報量を短時間で扱い、多数の事例を検索し、条件を整理し、複数の案を生成し、異なる情報同士の関係を見つけることができる。設計者が長い時間をかけて身につけてきた「多くのことを知っている」という能力も、図面を描く、CGをつくる、文章を書く、大量の案をつくるといった作業能力も、情報技術によって相対化されていく。その意味で、AIは建築家や設計者の役割を大きく変える。

しかし、本書が目指すのは、AIに建築を統合させることではない。前章で論じたように、AIの内部でどの情報が選択され、どのように比較され、なぜその答えに到達したのかが見えなければ、その判断は再びブラックボックスになる。AIが膨大な情報を処理し、「最適」と考えられる一つの案を提示したとしても、その結果だけを受け取るのであれば、人間が行ってきたブラックボックスをAIのブラックボックスへ置き換えただけである。それでは建築を理解したことにはならない。さらに、何もかもをAIが自動的に決定する建築は、設計者にとっても利用者にとっても必ずしも面白いものではない。人間は、正解だけを求めて建築をつくっているのではない。何を見るのか、何を考えるのか、何に価値を感じるのかという主観的な判断そのものが、建築をつくる行為の重要な部分だからである。

だからこそ必要なのは、AIそのものではなく、AIが持つ情報処理の構造を、人間が理解できる形へ開くことである。 AIのように多数の情報を横断し、比較し、関係づける。しかし、その判断過程をブラックボックスにしない。何を対象としているのか。どの文脈から見ているのか。どの属性を比較しているのか。どの関係を重視しているのか。何を評価し、なぜその評価に至ったのか。それらを一つずつ可視化し、人間が確認し、変更し、議論できる構造として扱う必要がある。

そのための基盤がGAASである。GAASはAIのように大量の情報を一つの答えへ圧縮するためのシステムではない。建築を構成する対象、文脈、要素、属性、関係、設計過程、成果、評価を分解し、それぞれがどのようにつながっているのかを可視化するための共通構造である。情報社会によって増大した情報を、ただ集めるのではなく、位置づける。比較する。関係づける。そして、その判断構造を人間とAIの双方が共有できる形にする。AIの情報処理能力を利用しながら、AIのブラックボックスをそのまま受け入れないことが重要なのである。

ここで建築家の役割も変わる。これからの建築家に求められるのは、すべての情報を頭の中に記憶することでも、すべての専門領域について専門家になることでもない。何を対象とし、何を見るのか。何と何を比較し、何を評価するのか。そして、異なる情報と価値をどのように一つの建築へ統合するのかという判断構造そのものを設計することである。 情報技術はその判断を支援する。AIは情報を集め、解析し、選択肢を提示する。しかし、建築の方向を決める構造そのものは、人間が理解し、共有し、更新できなければならない。

GAASが目指す統合は、すべてを一つの正解へ収束させることではない。構造の視点、環境の視点、利用者の視点、地域の視点、事業の視点、設計者の主観的な視点など、異なる価値をそのまま残しながら、それぞれが建築の中でどこに位置し、どのような関係を持ち、どこで衝突しているのかを可視化することである。統合とは平均化ではない。異なるものを消すことでもない。異なるものの関係を理解し、それらを一つの建築として判断可能な状態にすることである。

情報社会によって建築は分散した。情報も、技術も、専門性も、価値観も増え続けている。それを再び一人の天才の頭の中へ戻すことはできないし、AIという新しいブラックボックスへすべてを委ねるべきでもない。必要なのは、分散した情報を誰もが理解できる共通構造の上へ置き直すことである。AIが「答えを出す」方向へ進むのであれば、GAASは「なぜその答えになるのかを構造化する」方向へ進む。 ここに、情報社会における次世代の建築家の役割がある。

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4-5|次世代のスターアーキテクト

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では、その時代にスターアーキテクトは存在するのだろうか。スターアーキテクトが完全になくなるのではない。スターになる条件が変わるのである。20世紀のスターアーキテクトには、強い作風があった。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、安藤忠雄、ザハ・ハディド、隈研吾。それぞれの建築には、その建築家の思想や造形的特徴が明確に現れている。建築家の個性は、強い形、強い空間、強い材料表現として社会に認識された。

しかし情報社会では、強い形だけではスターになれない可能性がある。芸術的で独創的な建築をつくることも、主観的な思想を強く持つことも、個としては非常に面白い。それ自体が否定されるわけではない。しかし、その独創性が膨大な情報の中に存在する一つの表現にとどまれば、社会全体へ大きな影響を与えることは難しい。情報社会では、独創的な形そのものが大量に存在する。世界中の建築が共有され、異なる作風が並列し、情報技術によってさらに多様な形態を生み出すことができる。形態的な違いだけでは、建築家の位置を決定できない時代になっている。

だからこそ、次世代の建築家のオリジナリティは、形だけではなく、その形を生み出す「建築の捉え方」に現れる。何を見るのか。何を問題とするのか。何と何を関係づけるのか。何を評価するのか。何を捨て、何を残すのか。どのようなプロセスによって最終的な判断へ到達するのか。同じ敷地を10人の建築家に渡したとき、違いは単に10種類の形が生まれることではない。一人は歴史を重視し、一人は生態系を見て、一人は地域産業を見て、一人は人間の行動を見て、一人は事業性を見て、一人は構造システムを見る。その視点の違いこそが建築家の個性である。そして次の段階では、一つの視点を強くするだけではなく、異なる視点を同時に扱い、その関係を組み立てることが求められる。

自然、地形、気候、生態、都市、歴史、文化、制度、人口、用途、活動、行動、空間、形態、構造、構法、材料、環境、設備、施工、コスト、事業、運営、時間。建築は本来、このような膨大な次元の交点に存在している。これまでは人間の認知能力に限界があったため、その一部を重点的に扱うしかなかった。形態を中心に見る建築家、材料を中心に見る建築家、社会性を中心に見る建築家というように、建築家の思想とは「何を見るのかを選ぶこと」でもあった。しかし情報技術によって、一人の人間では扱えなかった情報量を整理し、比較し、関係づけることが可能になれば、より多くの次元を同時に扱えるようになる。そしてGAASによってその関係を構造化することができれば、多次元的な判断をブラックボックスの中へ閉じ込めるのではなく、人間が理解し、共有し、更新することができる。

次世代のスターアーキテクトに求められるのは、最も多く図面を描くことでも、最も多くの建築を記憶することでも、最も奇抜な形をつくることでもない。膨大な情報と専門性を扱いながら、それらをどのような構造で捉え、何を重要と考え、どのような建築として統合するのかを提示できる人物である。設計方法をつくる。評価方法をつくる。データベースをつくる。地域の生産システムをつくる。不動産や事業の仕組みをつくる。教育や研究の構造をつくる。建築そのものだけでなく、建築を生み出すシステムそのものが設計対象になる。

20世紀のスターアーキテクトが「強い形」を持った建築家だったとすれば、次世代のスターアーキテクトは「強い統合構造」を持った建築家になる。ここでいう統合とは、平均化することではない。異なる専門性や価値観を一つに均すことでもない。それぞれの違いを残したまま、その関係を可視化し、何を優先し、どのような建築として成立させるのかを判断することである。芸術性や主観性は、その中で失われるのではない。むしろ膨大な情報をどのように選び、どのような関係をつくるのかという判断の中に、建築家の個性はより強く現れる。

次世代の建築家とは、すべてを知っている人ではない。すべてをつなげることができる人である。そして次世代のスターアーキテクトとは、最も特徴的な形をつくる人物ではなく、分散した情報、技術、専門性、価値観を横断し、それらを一つの建築として統合する新しい方法を提示できる人物である。

このとき建築家の個性は、建物の外形だけではなく、建築を見る「座標系」に現れる。何を見るのか。どこまで見るのか。何と何を関係づけるのか。何を価値として評価するのか。建築家によって異なるこの「建築の捉え方」を、多次元的な構造として可視化し、比較し、共有することができれば、建築デザインは個人の頭の中だけで行われるブラックボックスから、より多くの情報と価値観を扱うことのできる設計行為へ変わる。

建築家の次の職能は、AIに設計を任せることではない。情報社会によって分散した世界を、人間が理解できる構造として再び統合することである。

そして、その統合を可能にするための共通構造としてGAASがあり、その設計思想として次章の「多次元構築設計論」が始まる。

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第5章|多次元構築設計論
「建築を多次元的に捉えるとは何か」

前章まで、情報社会によって建築デザインを取り巻く状況がどう変化してきたのかを論じてきた。建築には、都市、敷地、建築物、空間、構造、材料、設備、家具、部材など、異なる尺度の対象が存在する。それぞれには形状、寸法、性能、質感、意味などの属性があり、その間には包含、接続、依存、因果、類似、時間的連続など多様な関係が成立している。さらに、設計者、施主、利用者、施工者など複数の主体が、それぞれ異なる目的や価値観を持つ。建築は物理的な対象であると同時に、社会的、文化的、経済的、時間的な存在でもあり、一つの分類や価値だけでは捉えられない。

建築は階層的であると同時に多次元的でもある。

建築物は都市から見れば一つの要素であり、その内部から見れば複数の空間や部位を含む全体となる。また、一つの階段であっても、移動、空間接続、避難、構造、意匠など、複数の体系に同時に位置付けることができる。つまり建築は、単一の樹形構造ではなく、複数の分類体系と階層が重なり合う多次元・多重階層構造として捉える必要がある。

本書では、この複雑性を前提として、建築を分解し、分類し、関係付け、評価し、再び一つの建築へ構築する考え方を「多次元構築設計論」と呼ぶ。これは建築を複雑にするための理論ではない。もともと複雑である建築を過度に単純化せず、異なる情報を保持したまま、その関係を理解し、比較し、判断し、構築するための理論である。

5-1|多次元構築設計論とは何か

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多次元構築設計論とは、建築を単一の対象、単一の価値、単一の階層から捉えるのではなく、複数の異なる次元と階層から同時に捉え、それらの関係を構築することによって建築を設計する理論である。ここでいう多次元とは、単純に設計条件や評価項目を増やすという意味ではない。用途、空間、形態、構造、材料、環境、技術、主体、時間、文脈、評価といった、異なる原理によって成立する情報を、それぞれ独立した次元として認識したうえで、その間にどのような関係が存在しているのかを捉えることである。

これまでの建築設計においても、設計者は多くの条件を同時に考えてきた。敷地を読み、用途を理解し、構造を成立させ、環境性能を確保し、コストを調整しながら、空間や形態を生み出してきた。優れた建築家ほど、複数の条件を横断し、それらを一つの建築へ統合する能力を持っている。しかし、その統合の多くは設計者自身の内部で行われてきた。最終的な建築を見ることはできても、何を情報として認識し、何を重視し、どの情報とどの情報を関連付け、どのような比較を行い、なぜその判断へ至ったのかという過程は必ずしも外部から見ることができない。建築デザインのブラックボックスとは、まさにこの部分に存在する。

情報社会では、このブラックボックスをそのまま維持することが難しくなる。設計者が扱える情報量を超えて情報が増え、建築に関与する専門家も増え、設計判断の社会的な説明責任も強くなっている。さらに、AIやデータベース、BIM、シミュレーションなどによって、人間だけでは扱うことのできなかった情報を比較、分析、記録できるようになってきた。ここで必要になるのは、単純に情報を増やすことではない。情報をどのような構造の中に置くのかという設計そのものが必要になる。

多次元構築設計論では、建築情報を一つの尺度に還元しない。経済性が高いからよい、環境性能が高いからよい、機能的だからよい、美しいからよい、新しいからよいという単一の価値によって建築全体を説明しようとしない。それぞれの価値は建築を構成する重要な一側面であるが、一つの価値の最大化が建築全体の価値の最大化になるとは限らない。多次元構築設計論が目指すのは、異なる価値を同じ尺度に強制的に変換することではなく、異なる価値を異なるものとして保持したまま、それらの関係、相乗効果、矛盾、トレードオフを明らかにすることである。多次元とは、項目が多いということではない。異なる原理によって成立する情報を、異なるものとして認識し、その関係を構築することである。

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5-2|建築を階層と多次元から捉える

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建築は階層によって構成されている。国土があり、地域があり、都市があり、敷地があり、建築があり、空間があり、部位があり、部材があり、材料がある。ある対象をより大きな尺度から見れば部分となり、より小さな尺度から見れば全体となる。建築は単純な上位・下位関係だけでなく、全体と部分の連続によって成立している。そのため、建築を理解するためには、対象の尺度と粒度を自由に移動できなければならない。都市との関係を見るのであれば建築全体を対象とし、室内環境を分析するのであれば空間を対象とし、施工性を分析するのであれば部材や接合部へ降りていく必要がある。

しかし、建築に存在する階層は一つではない。空間による階層、構造による階層、材料による階層、用途による階層、主体による階層、設計過程による階層、評価による階層は、それぞれ異なる分類原理によって成立する。ここで重要なのが、階層性と多次元性を区別することである。階層とは、ある一つの分類原理の内部に存在する上位と下位の関係であり、多次元とは、その分類原理そのものが複数存在する状態である。建築を正確に捉えるためには、一つの巨大な分類表にすべてを押し込むのではなく、異なる分類軸をそれぞれ独立した体系として保持し、それらを関係によって接続する必要がある。

さらに、一つの対象が複数の体系に同時に属する多重帰属を認めなければならない。例えば階段は、空間構成から見れば上下階をつなぐ接続要素であり、機能から見れば移動要素であり、安全性から見れば避難要素であり、技術から見れば構造要素でもある。壁も同様であり、空間を分割する境界であると同時に、構造体、外皮、環境装置、意匠要素、仕上げとなり得る。対象を一つの分類へ固定すると、この複数の意味が失われる。多次元構築設計論では、多重帰属を分類上の誤りとして排除するのではなく、建築が本来持つ複数の意味を表現するための基本構造として扱う。

したがって、建築は一つの樹形図ではなく、複数の樹形図が重なり、それぞれの節点同士が無数の関係によって接続されたネットワークとして理解されるべきである。建築の複雑性とは、単に要素が多いことではない。一つの要素が異なる次元の中で異なる意味を持ち、その意味同士が相互に影響するところに本質的な複雑性がある。

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5-3|設計と評価を同じ構造で捉える

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多次元構築設計論では、建築デザインを「設計」と「評価」という二つの基本的な行為の関係から捉える。設計とは、目的、要求、条件、制約に応答しながら、空間、形態、構造、材料、環境、設備、技術などを形成し、それらを一つの建築へ統合していく行為である。一方、評価とは、設計によって形成された案や実現された建築を、目的、要求、性能、基準、価値などに照らして分析し、判断する行為である。

一見すると、設計はつくる行為であり、評価はつくられたものを見る行為として分けることができるように見える。しかし実際の建築設計では、この二つは常に相互作用している。設計者は一つの案をつくるたびに、その案を評価している。この空間は十分に明るいのか、この動線は使いやすいのか、この構造は成立するのか、この材料は適切なのか、この形態は周囲の環境とどのような関係をつくるのか。このような判断を行い、問題が発見されれば設計を変更し、その変更された設計を再び評価する。建築デザインは「設計―評価―再設計―再評価」という反復によって進行する。

したがって、設計と評価は互いに独立した二つの段階ではなく、相互に更新し合う循環構造である。設計が条件や情報から建築を構築する方向の行為であるならば、評価は建築から条件や価値へ戻り、その成立状態を読み解く方向の行為である。方向は異なるが、扱っている対象、属性、関係、文脈は共通している。この二つを共通の構造によって記述することで、何がどのような条件から設計され、どの観点から評価され、その評価結果がどのように次の設計へ戻ったのかを追跡できるようになる。

ただし、建築に存在するすべての情報を設計と評価という二つに分割するわけではない。建築には主体、文脈、過程、対象、成果、運用などが存在する。設計と評価はそれらすべてを包含する二分法ではなく、建築デザインにおける意思決定を構造化するための最上位の関係軸として位置付ける。設計されたものを評価し、その評価から再設計するという循環を明示することによって、これまで暗黙的であった設計判断を可視化し、共有し、検証することが可能になる。

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5-4|建築を分解し、再構築する

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建築を多次元的に理解するためには、一度、建築を分解する必要がある。完成した建築を一つの作品として見るだけでは、その内部に存在する複数の対象、条件、判断、関係を十分に読み取ることができないからである。ただし、多次元構築設計論における分解は、建築を単純な部品の集合へ還元することを目的としていない。関係を理解するために分けるのである。

建築は、都市、敷地、建築物、空間、部位、部材、材料といった物理的な階層によって分解できる。しかし同時に、用途、機能、構造、環境、主体、時間、行為、評価といった異なる観点からも分解することができる。つまり、建築の分解方法自体が多次元である。一つの正しい分解方法が存在するのではなく、何を理解しようとしているのかによって、適切な分類軸や粒度は変化する。動線を分析する場合と構造を分析する場合では、見るべき要素も異なる。環境性能を評価する場合と文化的価値を評価する場合でも、対象の切り取り方は異なる。

ここで重要なのは、分解した情報を再び統合することである。構造だけを最適化し、環境だけを最適化し、コストだけを最適化しても、それぞれが相互に矛盾していれば建築全体として成立しない。建築は部分の単純な総和ではなく、部分と部分の関係によって成立する全体である。したがって、多次元構築設計論における分解とは、単なる分析の終点ではない。分解によって対象を理解し、そこに存在する関係を読み取り、それを再び統合して新たな関係へ組み替えることまでが設計となる。分解は分析であり、関係付けは理解であり、再構築は設計である。

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5-5|文脈を捉える|Context

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建築は単独では存在しない。あらゆる建築は場所、時代、社会、文化、自然、制度、技術、経済、利用者、設計目的といった何らかの文脈の中に存在する。同じ形の建築であっても建つ場所が異なれば意味は変わり、同じ材料でも地域や時代が異なれば価値は変化する。同じ空間であっても、利用者や用途が違えば適切性は変わる。つまり、建築の価値は対象そのものだけによって決まるのではなく、対象と文脈との関係によって成立する。

Contextとは、単なる周辺環境を意味するものではない。ある対象をどの条件から見るのかを規定する背景そのものである。誰にとって、何のために、どこで、いつ、どのような条件のもとで存在するのかという問いによって、その対象の意味は変化する。例えば、同じ広さの空間であっても、住宅の居間として評価する場合と、学校の教室として評価する場合では、求められる性能も価値も異なる。同じ建築であっても、竣工直後と数十年後では、社会的、文化的な評価が変わることもある。

情報社会においてContextはさらに重要になる。インターネットによって世界中の建築を瞬時に参照できるようになった一方で、写真や形態だけが切り取られ、そこに存在した敷地条件、社会背景、構造条件、施工技術、利用者要求、設計意図が失われることも多い。文脈を失った建築情報は、容易に表面的な模倣へ変わる。なぜその形だったのか、なぜその材料だったのか、なぜその空間構成だったのかという理由を読み解くためには、その情報が成立した文脈まで保持する必要がある。多次元構築設計論では、建築そのものだけではなく、建築を成立させている文脈も同じく設計情報として捉える。

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5-6|要素を捉える|Element

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Elementとは、分析や設計において一つの単位として扱われる対象である。都市、地域、敷地、建築、空間、壁、床、柱、窓、設備、家具、部材、材料など、建築を構成する対象はさまざまな尺度に存在している。しかし、何をElementとするかは固定されていない。都市を対象とすれば一棟の建築がElementとなり、建築を対象とすれば一つの空間がElementとなり、空間を対象とすれば壁や家具がElementとなる。ある次元では全体であるものが、別の次元では部分となる。

この全体と部分の関係は、建築を理解するうえで重要である。建築は単純な包含関係だけで構成されているのではなく、接触、接続、境界、分離、共有、重なりといった多様な関係によって成立している。また、一つのElementが複数の役割を持つことも多い。壁は空間を分割する境界であると同時に、構造体、外皮、断熱層、仕上げ、意匠要素になる。柱も荷重を支える構造要素であると同時に、空間を規定し、視線を制御し、建築表現を形成する要素にもなる。

したがって、Elementを捉えるということは、単に「これは何か」と分類することではない。その要素がどの次元の中で、どのような役割を担い、何と関係しているのかを明らかにすることである。一つの対象に一つの意味を与えるのではなく、複数の意味と役割を認識することによって、建築をより立体的に理解することができる。

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5-7|属性を捉える|Attribute

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Elementを認識しただけでは、建築を十分に記述したことにはならない。同じ壁であっても、高さ、厚さ、材料、色、質感、透明性、強度、熱性能、重量、可変性などによって、まったく異なる性質を持つ。こうした要素が持つ性質をAttributeとして捉える。Elementが「何であるか」を示すのであれば、Attributeは「どのようなものであるか」を示す。

属性には、寸法、面積、温度、照度、強度、重量のように数値によって測定できるものがある。一方で、開放的である、落ち着いている、象徴的である、美しい、複雑であるといった、人間の知覚や判断によって成立する属性も存在する。建築は物理的な存在であると同時に、人間によって経験され、解釈され、意味付けられる存在であるため、客観的に測定可能な属性だけを扱っても建築全体を理解することはできない。

多次元構築設計論は、主観的な属性を排除しない。重要なのは、何が測定された事実であり、何が観察であり、何が推定であり、何が解釈であり、何が評価者の判断なのかを区別することである。主観を客観のように扱わず、客観を主観と混同しない。そのうえで、両方を同じ分析構造の中に配置し、相互に関係付ける。これによって、建築の感覚的、文化的、美的な価値を失うことなく、判断の透明性と説明可能性を高めることができる。

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5-8|関係性を捉える|Relationship

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建築は要素の集合だけでは成立しない。建築を成立させているのは、要素そのもの以上に、要素と要素の間に存在する関係である。窓があることだけでは、その窓の意味を説明することはできない。窓と室内、窓と外部、窓と光、窓と視線、窓と構造、窓と利用者の関係によって、その意味や価値は変化する。

Relationshipとは、このような対象間の関係を捉える概念である。建築には、全体と部分、一般と特殊、主体と行為、行為と対象、要求と設計、設計と成果、原因と結果、入力と出力、前提と依存、類似と相違、空間的関係、時間的関係、設計と評価といった多様な関係が存在する。これらの関係は、単純な上位・下位関係だけでは表現できない。したがって、建築を一つの階層表として捉えるのではなく、多数の対象をノードとし、それらを多様な関係によって接続するネットワークとして捉える必要がある。

この視点に立つと、設計とは要素を選択すること以上に、要素同士の関係を設計することだと理解できる。同じ材料、同じ空間、同じ構造形式を使用していても、それらの関係のつくり方によって異なる建築は成立する。ここには情報社会におけるオリジナリティの可能性も存在する。新しい材料を発明しなくても、見たことのない形をつくらなくても、既存の要素の間にこれまでとは異なる関係を構築することによって、新しい建築を生み出すことができる。オリジナリティは要素そのものだけではなく、関係にも存在する。

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5-9|時間とプロセスを組み込む

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建築は固定された完成物ではない。建築が完成する以前には、構想、事業企画、設計、許認可、調達、製作、施工、監理などの過程が存在し、完成後には利用、維持管理、改修、更新、用途変更、解体、再生が存在する。つまり、建築は時間の中で形成され、実現され、使用され、変化し、場合によっては消滅する動的な存在である。

多次元構築設計論では、完成した建築だけを対象としない。建築がどのような情報と判断を経て生まれたのかという過程そのものを分析対象とする。設計案Aが設計案Bへ変わったのであれば、その間には必ず何らかの判断が存在する。構造条件によって変わったのかもしれない。コストによって変わったのかもしれない。施主との協議によって変わったのかもしれない。法規、施工性、環境性能、利用者要求によって変わった可能性もある。この変化の理由を記録することで、最終的な成果物だけでは見ることのできない設計判断の過程を捉えることができる。

また、評価も時間によって変化する。計画段階、設計段階、施工段階、竣工段階、運用段階では、評価対象も評価指標も異なる。竣工時には高く評価された建築が、運用後に問題を生じることもある。反対に、竣工直後には十分に理解されなかった建築が、時間の経過によって新しい文化的価値を獲得することもある。建築の価値は固定された一点ではなく、時間の中で変化し続ける。

さらに、ある建築から得られた評価結果は、その建築だけに閉じる必要はない。利用実績、性能測定、改修履歴、利用者評価などの情報は、次の建築の設計知識として再利用することができる。ここでも「設計―評価―再設計」という循環が成立する。多次元構築設計論では、建築を完成した物としてだけでなく、時間の中で情報と判断が蓄積され、更新され続ける知識構造として捉える。

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5-10|次元を横断し、建築を構築する

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ここまで、建築を階層、文脈、要素、属性、関係、時間、設計、評価という異なる側面から捉えてきた。しかし、多次元構築設計論の目的は建築を細かく分類することではない。分類はあくまで建築を理解するための手段であり、最終的な目的は、異なる次元を横断し、それらを一つの建築として再構築することである。

例えば、窓を大きくするという一つの設計判断を考える。窓が大きくなれば採光が変わる。眺望が変わる。熱環境が変わる。外皮性能が変わる。構造計画が変わる可能性がある。コストが変わり、施工方法が変わり、外観が変わり、内部空間の印象が変わり、利用者の行動も変化する可能性がある。一つの設計操作が一つの領域だけで完結することはほとんどない。建築におけるあらゆる判断は、本質的に複数の次元を横断している。

これまで、そのような複数の条件を統合する能力は、建築家の経験や感覚、才能として語られることが多かった。多次元構築設計論は、その能力を否定するものではない。むしろ、そこで行われている複雑な判断を可能な限り明示し、人間がより多くの情報を認識しながら設計できる状態へ拡張するための理論である。

ただし、建築はすべて同じ条件によって成立するわけではない。地域が違い、用途が違い、文化が違い、制度が違い、技術が違い、時代が違い、利用者が違う。そのため、すべての建築を一つの固定された構造へ押し込むことも適切ではない。そこで必要になるのが、標準構造と可変構造の共存である。共通して記述できる情報には標準的な構造を与え、個別の建築に固有の条件については可変的な構造として保持する。標準化とは、すべての建築を同じにすることではない。異なる建築を比較し、理解するための共通言語をつくることである。一方、個別性とは分類できない例外ではなく、共通構造の上に成立する固有の関係である。

多次元構築設計論が目指すのは、普遍性と個別性のどちらか一方を選ぶことではない。共通する部分は共通する構造によって扱い、異なる部分は異なるものとして残すことである。これによって、異なる建築を同じ基盤の上で比較しながら、それぞれの建築が持つ固有性を失わずに扱うことができる。

建築を「形」ではなく「構造」として捉える

建築は最終的には形を持つ。壁があり、床があり、屋根があり、空間があり、人がその中を歩く。建築家にとって形をつくること、美しい空間を生み出すこと、人の感情を動かすこと、強い建築表現を生み出すことが重要でなくなるわけではない。多次元構築設計論は、形を否定する理論ではない。

むしろ、その形がなぜ生まれたのかを問う。

形の背後には文脈がある。要素がある。属性がある。関係がある。時間がある。主体がいる。要求がある。設計判断があり、評価があり、その結果として次の設計判断が生まれている。形とは、それらの関係がある時点において一つの状態として現れた結果である。

したがって、建築を理解するためには、形を見るだけでは不十分である。その形を成立させている構造まで捉えなければならない。建築を「どのような形にするか」という問いだけから、「どのような対象を、どのような文脈から捉え、どのような要素と属性を選択し、それらの間にどのような関係を構築するのか」という問いへ拡張する。この問いの拡張こそ、多次元構築設計論の本質である。

情報を増やすことが目的ではない。分類項目を増やすことでも、すべてを数値へ変換することでもない。異なる次元に存在する情報を認識し、それらがどのように関係しているのかを可視化し、比較し、評価し、そのうえで設計へ戻すことが重要なのである。

ここで情報技術やAIは大きな役割を持つ。データベースは膨大な建築情報を蓄積し、検索し、関連付けることができる。シミュレーションは人間が直接知覚できない性能を可視化することができる。AIは大量の情報から特徴、類似、差異、関係を抽出することができる。しかし、多次元構築設計論の目的は、AIによって唯一の正解を決定することではない。情報技術によって人間が見ることのできる建築の範囲を広げ、これまで経験や直感の内部に隠れていた関係を可視化し、そのうえで人間が考え、比較し、判断し、設計することに意味がある。

AIに設計を代替させるのではない。人間が認識できる建築の次元を増やすのである。

これまで見えなかった関係を見る。これまで比較できなかった情報を比較する。これまで説明できなかった判断を説明する。それによって人間の設計能力そのものを拡張する。ここに、情報社会における建築デザインの新しい可能性がある。

多次元構築設計論からGAASへ

多次元構築設計論は、建築を多次元・多重階層の関係構造として捉え、設計と評価の循環によって構築していくための基礎理論である。しかし、思想や理論だけでは、実際に膨大な建築情報を記述し、分類し、検索し、比較し、分析し、評価することはできない。多次元構築設計論を実際の建築情報へ適用するためには、対象、概念、分類、属性、関係、文脈、評価を具体的な情報構造へ変換する必要がある。

そのための標準参照体系がGAASである。

GAASは、建築デザインを「設計」と「評価」という二つの基幹体系によって構造化する。設計体系は5層250 Categoryから構成され、それぞれのCategoryを構成要素、属性、関係性、文脈という4領域から捉え、さらに各領域を10の分析要素によって記述することで、合計10,000の設計分析要素を形成する。評価体系は4層110 Categoryから構成され、それぞれのCategoryに10の評価要素を設定することによって1,100の評価要素を形成する。さらに、設計体系と評価体系を交差させることで27,500のCategory交点が生まれ、設計側の分析要素と評価側の評価要素を対応させることで、理論上最大11,000,000の分析評価単位まで展開することができる。

この数値の意味は重要である。11,000,000という数値は、GAASによる評価が1,100万倍正確になるという意味ではない。これは、建築デザインをどれだけ細かく区別し、異なる設計情報と評価情報を対応付けることができるかという理論上の最大分析解像度を示している。実際の分析や評価の精度は、データが十分に存在するか、分類が適切であるか、指標が妥当であるか、評価基準が明確であるか、根拠が信頼できるか、評価方法が再現可能であるか、不確実性が適切に扱われているかによって決まる。項目数が多いこと自体が精度を保証するわけではない。

GAASでは、この多次元構造を成立させるために、複数の基礎理論を必要とする。建築概念の意味と相互関係を定義するオントロジー、分類体系の一貫性をつくるタクソノミー、異なる分類軸を独立して保持するファセット分類、全体と部分の関係を扱うメレオロジー、建築を複数の部分システムの相互作用として見るシステム理論、対象と関係をネットワークとして扱うグラフ・ネットワーク理論、建築を時間の中で変化する存在として扱う過程・ライフサイクル理論、価値判断を構造化する評価理論、性能や属性を測る測定理論、情報の根拠と信頼性を扱う認識論・根拠理論、不完全な情報を管理する不確実性理論、複数の基準から選択を行う意思決定理論、情報の生成と変更履歴を追跡する情報来歴・追跡可能性理論、異なる制度や情報システムを接続する標準化・相互運用性理論である。これらは独立した知識を並べるために存在するのではない。建築という複雑な対象を、意味、分類、関係、時間、評価、根拠という異なる側面から破綻なく扱うために必要となる。

つまり、多次元構築設計論とGAASの関係は明確である。多次元構築設計論が「建築をどのように捉えるのか」という設計思想と認識構造を示すのに対し、GAASは「その建築情報をどのように記述し、分類し、接続し、比較し、分析し、評価するのか」を具体化する標準参照体系である。多次元構築設計論が思想であり、GAASがその実装構造である。

この二つを接続することで、建築デザインは完成した形だけを対象とするものではなくなる。設計情報と評価情報を対応付け、何がどのような条件によって設計され、どのような観点と根拠によって評価され、その結果がどのように次の設計へ戻ったのかを記録することができる。設計、評価、再設計、再評価という循環が蓄積されれば、一つの建築で得られた知識は、次の建築へ再利用することもできる。建築は一つの完成物から、更新され続ける知識構造へ変化する。

そして、この考え方は本書の出発点である「完璧な建築」という問いにも戻ってくる。完璧な建築とは、すべての性能が最大化された建築でも、すべての人に同じように評価される建築でも、一つの固定された最適解でもない。そもそも、建築に存在する価値は互いに異なり、主体によって重要度も異なり、時間によって評価も変化する。だからこそ、完璧を一つの完成状態として定義することはできない。

しかし、より多くの次元を捉え、より多くの関係を可視化し、判断の根拠と不確実性を明示し、その結果を次の設計へ戻すことはできる。新しい情報が加われば再評価し、社会が変われば文脈を更新し、利用実績が得られれば設計知識を修正することができる。

完璧とは、すべてが決まった完成状態ではない。より多くの次元を捉え、検証し、更新し続けることのできる構造である。

多次元構築設計論は、その構造を設計するための理論である。そしてGAASは、その構造を実際の建築情報へ展開し、分析と評価を可能にするための基盤である。

第6章|多次元構築設計論からGAASへ
「理論をどのように分析・評価可能な構造へ変えるのか」

建築を多次元的に捉える必要性を示すだけでは、多次元構築設計論はまだ一つの思想にとどまる。文脈、要素、属性、関係性を横断しながら建築を考えたとしても、その方法が設計者の頭の中だけに存在していれば、何を見て、何を比較し、何を根拠として判断したのかを共有することはできない。

必要なのは、複雑な建築を単純化することではなく、複雑なものを複雑なまま扱いながら、その内部にある情報と判断の構造を明らかにすることである。何を対象とし、どの情報を扱い、何と何が関係し、どこまでが分析で、どこからが評価なのか。それらを分解し、記述し、再び関係づけることで、建築判断を共有・比較・検証できる構造へ変えていく。

ここで重要なのは、建築をすべて数値化することでも、主観を排除することでもない。客観的に把握できる情報と主観的な判断を分離し、その関係を明らかにすることである。

思想を構造へ。構造を分析へ。分析を評価へ。そして、その評価を再び設計へ。

この一連の仕組みを実装するのが、GAAS|Global Architectural Assessment Systemである。

M-DCTは建築をどのように捉え、構築するかを示す設計理論であり、GAASはその理論を分析・評価可能な構造へ変換するシステムである。

6-1|思想だけでは建築は変わらない

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第5章までで、建築を単一の価値や視点から捉えるのではなく、複数の文脈、要素、属性、関係性を横断しながら、多次元的に捉える必要性を示してきた。建築は、形態だけでも、機能だけでも、構造だけでも、環境性能だけでも説明することはできない。敷地、都市、社会、文化、経済、制度、技術、利用者、時間、歴史など、異なる次元が重なり合うことで一つの建築が成立している。多次元構築設計論は、この複雑性そのものを建築の前提として受け入れ、それらを統合しながら建築を構築していくための設計思想である。

しかし、思想だけでは建築は変わらない。「多次元的に考える」「多角的に建築を見る」と言うだけであれば、その解釈は設計者ごとに異なる。ある設計者は空間を中心に捉え、別の設計者は構造を中心に捉え、さらに別の設計者は社会性や環境性を中心に捉えることになる。それぞれの判断が間違っているわけではない。しかし、何を見て、どのような情報を用い、何と何を比較し、どのような過程を経て判断したのかが共有されなければ、多次元性は個人の感覚の中に留まり、再現可能な方法論にはならない。

必要なのは、多次元的な思考を理念として掲げることではなく、誰が用いても同じ構造の中で建築を捉えることのできる共通言語へ変換することである。設計者の頭の中に存在していた複雑な判断を、分解し、整理し、記述し、比較し、再構築できる形式へ変える。そのために、多次元構築設計論を具体的な分析・評価構造として定義する必要がある。

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6-2|多次元的視点を構造化する

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建築には膨大な情報が存在する。しかし、情報が多いことと、建築を理解できることは同じではない。情報を無秩序に蓄積するだけでは、情報過剰をさらに加速させるだけである。重要なのは、建築に関わる情報を、共通する構造によって整理することである。

多次元構築設計論では、建築を捉える基本構造を、Context|文脈、Element|要素、Attribute|属性、Relationship|関係性として整理する。

Context|文脈とは、その建築が成立する背景である。自然環境、地域、都市、敷地、歴史、文化、社会、制度、経済、事業、利用者など、建築の外側にありながら建築の成立条件となるものを扱う。建築は単独で存在するのではなく、必ず何らかの文脈の中に位置している。

Element|要素とは、建築を構成する対象である。都市、敷地、ランドスケープ、建築、空間、構造、外皮、設備、材料、部材、家具など、分析の対象となる実体を段階的に分解する。建築を一つの巨大な対象として見るのではなく、複数の要素の集合として捉えることで、分析可能な単位へ変換する。

Attribute|属性とは、それぞれの要素が持つ性質である。寸法、形状、色彩、材料、重量、強度、透明性、照度、温度、コスト、利用率、快適性、象徴性など、一つの要素には複数の属性が存在する。同じ壁であっても、構造的な属性、環境的な属性、意匠的な属性、経済的な属性を同時に持っている。

そしてRelationship|関係性とは、文脈、要素、属性の間に生じるつながりである。室と室の隣接関係、建築と敷地の配置関係、構造と形態の依存関係、材料と環境性能の関係、コストと面積の関係、利用者と空間の関係など、建築の価値の多くは単独の要素ではなく、それらの関係によって生まれる。

建築を理解するとは、情報を大量に集めることではない。何が存在し、それがどのような性質を持ち、何とどのような関係を形成しているのかを明らかにすることである。多次元構築設計論における多次元性とは、単に評価項目を増やすことではない。異なる次元の情報を共通の構造の中に位置づけ、その相互関係まで含めて扱うことである。

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6-3|建築を「対象」と「時間」に分解する

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さらに、建築を評価するときには、「何を評価しているのか」を明確にしなければならない。一般に建築評価という言葉からは、完成した建築物を評価することが想像されやすい。しかし、建築は完成した建物だけによって成立しているわけではない。構想し、調査し、分析し、設計し、比較し、判断し、施工し、使用し、改修されるまでの一連の過程全体が建築である。

そのため多次元構築設計論では、建築をTarget|対象、Process|過程、Artifact|成果として捉える。

Target|対象とは、分析や評価の対象となる実体や事象である。都市、敷地、建築、空間、構造、材料、利用者、活動など、「何について考えているのか」を定義する。

Process|過程とは、その対象に対して行われる行為や判断の連続である。調査、分析、設計、比較、シミュレーション、意思決定、施工、運用、改修など、建築が形成される過程を扱う。同じ完成形であっても、どのような条件を読み取り、どのような案を比較し、なぜその案を選択したのかによって、その建築の意味は異なる。

Artifact|成果とは、その過程によって生成された成果物である。建築物そのものだけでなく、図面、模型、BIMモデル、文章、解析結果、設計案、施工図、写真、記録、評価結果なども含まれる。建築は物理的な建物だけでなく、設計過程で生成される膨大な情報の集合でもある。

この区別によって、「完成した建築を評価しているのか」「設計案を評価しているのか」「設計過程を評価しているのか」「判断の根拠となった資料を評価しているのか」を明確にすることができる。さらに時間軸を加えることで、計画前、設計中、竣工時、運用後など、同じ建築を異なる時点から捉えることも可能になる。

建築を静止した一つの物体ではなく、対象・過程・成果が時間の中で連続的に変化するシステムとして捉えること。これによって、多次元構築設計論は完成形の評価だけではなく、設計そのものを分析する理論へと拡張される。

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6-4|分析と評価を分離する

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ここで、多次元構築設計論にとって最も重要な原則の一つが生まれる。それが、分析と評価を分離することである。

建築について考えるとき、私たちはしばしば「何が存在するのか」という事実の記述と、「それが良いのか悪いのか」という価値判断を同時に行っている。「開口部が大きい」という分析と、「開放的で良い」という評価が混在し、「構造が複雑である」という事実と、「無駄が多い」という判断が混同される。この二つが混ざると、どこまでが客観的な情報で、どこからが評価者の判断なのかが分からなくなる。

そこで多次元構築設計論では、Analysis ≠ Evaluation|分析は評価ではないという原則を明確にする。

分析とは、対象を観察し、分解し、記述し、比較し、その特徴や関係を明らかにすることである。評価とは、その分析結果に対して、ある基準、目的、価値観を適用し、望ましいか、適切か、優れているかを判断することである。

例えば、建築のファサードにおいて水平線が垂直線より多いという事実は分析である。それを「水平性が強い」と記述することも分析の一部である。しかし、その水平性が「周辺景観との調和に有効である」「建築の安定感を生んでいる」「単調である」と判断することは評価である。同じ分析結果から、異なる評価が生まれる可能性がある。

この分離によって、評価の根拠を遡ることができるようになる。「なぜこの建築を高く評価したのか」という問いに対して、単に「良いと思ったから」ではなく、「どの情報を分析し、どの評価基準を適用し、どのような判断によって評価したのか」を説明できるようになる。

この考え方は、GAASにおけるAnalytical Structure|AS、Analytical Evaluation|AE、Evaluation Structure|ESへ接続する。何をどのように分析するのかという構造、分析結果をどのように評価へ変換するのかという過程、そして複数の評価をどのような体系として統合するのかという構造を分離することで、建築評価を検証可能なものへ変えていく。

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6-5|主観を排除するのではなく構造化する

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分析と評価を分離することは、主観を排除することを意味しない。むしろ、多次元構築設計論が目指すのは、主観を否定するのではなく、主観がどこに存在し、何によって形成されているのかを明らかにすることである。

建築には、数値だけでは説明できない価値が存在する。美しい、心地よい、面白い、象徴的である、落ち着く、刺激的であるといった感覚は、人間の経験や文化、記憶、思想と深く関係している。これらをすべて数値へ還元し、客観的な評価だけによって建築を決定しようとすれば、建築が本来持っている文化的、芸術的、人間的価値を失う危険がある。

一方で、「美しいと感じる」「良いと思う」という判断だけで評価を終わらせれば、その判断は他者と共有することが難しい。そこで必要なのは、主観と客観を対立させるのではなく、その関係を記述することである。

例えば、「この空間は開放的である」という評価があったとする。その背景には、天井高、開口率、視線距離、自然光、色彩、家具配置、周囲との連続性など、複数の客観的条件が存在している可能性がある。しかし、それらの条件から必ず「開放的」という感覚が生まれるわけではない。評価者の経験、文化、嗜好、比較対象によって判断は変化する。

重要なのは、客観的情報と主観的判断を混ぜることではなく、客観的情報からどのような主観的判断が生まれたのかを追跡できる構造をつくることである。客観は主観を排除するために存在するのではない。主観を説明し、共有し、比較し、議論するための基盤として存在する。

これは、第0章で示した「主観と客観の共創」という考え方に直接つながる。完璧な建築とは、すべてを数値化した建築ではない。客観的に把握できる条件と、人間が感じ、判断する価値の双方を扱い、その関係を更新し続けることのできる建築である。

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6-6|多次元構築設計論を計算可能にする

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多次元構築設計論を実際の設計や評価へ適用するためには、さらに一つの転換が必要となる。それが、理論を計算可能な構造へ変換することである。

ここでいう計算可能とは、建築のすべてを数式に置き換えることではない。建築に関わる情報を、コンピュータが保存し、検索し、比較し、関係づけ、分析できる形式へ整理することである。

Context、Element、Attribute、Relationshipが定義され、Target、Process、Artifactが区別され、AnalysisとEvaluationが分離されれば、それぞれの情報をデータとして記述することが可能になる。ある建築の材料、形態、寸法、プログラム、構造形式、環境性能、コスト、利用状況、設計意図、評価結果などを、互いに関係づけながら保存できるようになる。

ここで、データベース、BIM、GIS、シミュレーション、画像解析、自然言語処理、機械学習、AIなどの情報技術が初めて重要な意味を持つ。

画像解析によって建築の形態や構成を抽出することができる。自然言語処理によって設計者の説明や審査講評から評価概念を抽出することができる。BIMから寸法、材料、面積、数量などを取得することができる。環境シミュレーションによって温熱、光、エネルギーなどを分析することができる。データベースによって過去の建築との比較が可能になり、AIによって膨大な関係性の中から、人間だけでは発見しにくい傾向を抽出することもできる。

しかし、ここで重要なのは、AIを理論の中心に置かないことである。AIそのものが建築の価値を定義するわけではない。AIがどれほど高度になっても、何を対象とし、何を分析し、どのような基準によって評価するのかという構造がなければ、出力は新たなブラックボックスになる。

AIは、多次元構築設計論を実行するための技術の一つである。データベースも、画像解析も、BIMも、シミュレーションも同様である。技術が理論を決めるのではなく、理論によって情報の意味と関係を定義し、その構造の上で技術を利用する。これによって、情報技術を建築デザインの代替者ではなく、建築をより深く理解し、比較し、判断するための拡張装置として位置づけることができる。

多次元構築設計論を計算可能にするということは、人間の設計を機械へ置き換えることではない。これまで人間の頭の中だけに存在していた設計判断の一部を外部化し、記録し、比較し、共有し、再利用できるようにすることである。

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6-7|GAAS——多次元構築設計論の実装

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ここまでの議論によって、多次元構築設計論は思想から構造へ変化する。建築を多次元的に捉えるという考え方を、Context、Element、Attribute、Relationshipによって整理し、Target、Process、Artifactによって対象を定義し、AnalysisとEvaluationを分離し、主観と客観の関係を記述し、それらを計算可能な情報構造へ変換する。

この構造を、実際に建築の分析と評価へ適用するためのシステムが、GAAS|Global Architectural Assessment Systemである。

M-DCT|Multidimensional Design Construction Theoryは、建築をどのように捉え、どのように構築するかを示す思想・設計理論であり、GAASは、その理論を分析・評価可能な構造として実装するシステムである。

M-DCTが「建築をどのように考えるべきか」を扱うのに対し、GAASは「その建築をどのような構造で分析し、評価し、比較するのか」を扱う。M-DCTが設計思想であるならば、GAASはその思想を実行可能な共通基盤へ変換するための仕組みである。

GAASが目指すのは、建築を一つの点数によって順位づけることではない。建築を構成する複数の次元を分解し、それぞれの特徴、関係、評価根拠を明らかにすることである。どの部分が優れているのか。どこに課題があるのか。どの価値を優先した結果として現在の建築が成立しているのか。別の条件を設定した場合に評価はどのように変化するのか。そうした構造を可視化することで、建築を単純な「良い・悪い」から解放し、より精密な議論を可能にする。

さらに、GAASに蓄積される分析・評価情報は、一つの建築の評価で終わらない。多くの建築が同じ構造によって記述されれば、建築同士を比較し、地域差、時代差、用途差、設計思想の違いを分析することができる。評価結果そのものだけではなく、「なぜその評価になったのか」という判断構造まで蓄積することで、建築に関する知識は単なる事例集ではなく、相互に接続された知的基盤へ変わっていく。

そして、その知識は再び設計へ戻る。分析された過去の建築、評価された設計判断、発見された関係性を、新しい建築の構想、比較、検証に利用する。**設計し、分析し、評価し、その結果を次の設計へ戻す。**この循環によって、多次元構築設計論は固定された理論ではなく、建築とともに更新され続ける理論となる。

M-DCTからGAASへの移行は、思想から評価システムへの単純な変換ではない。

思想を構造へ変え、構造を情報へ変え、情報を分析へ変え、分析を評価へ変え、その評価を再び設計へ戻す。

この循環こそが、多次元構築設計論を実際の建築へ接続するための方法である。

そしてここから、建築を「何となく良い」と語る段階から、何が、なぜ、どのように良いのかを説明し、比較し、検証できる建築評価の構築が始まる。

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